「クリムト展 ウィーンと日本1900」拝観
以前から存在する技法を学び巧みに取り入れつつ独自のスタイルを確立した人だ。
たとえば第2章「修行時代と劇場装飾」で亡き前任者の未完の作を仕上げるよう任せられた時のストスリクトな筆使いは前任者そっくりで完全に自己を滅したと思える。
また、日本美術を取り入れた作品では額縁にあしらった草花の絵や構図や模様、鶏の姿からは、あからさまに誰のどの作品からのオマージュなのか明確に想起させる。
そして最古のインスタグラマーと言っても良いのではないかというくらい絵を正方形に収めて描く。横長縦長が主流の中、正方形とは構図への挑戦だ。
まるで実験を繰り返しながら独自のスタイルを模索したかのような彼の描きたかったものは女性である。
女性ばかり描いている。
女性の周りに花柄や幾何学などのモチーフが見られるが、モデルの人柄を表すための小道具だろうか。
男性も描いたが女性を際立たせるためのアイテム的存在で、花や幾何学模様と同じ扱いのように見える。
描いた女性とはもれなく関係を持ち結婚せず14人も非嫡出子が居た。
どの女性も美しくタイプが違い、個性が引き出されている。
第5章「ウィーン分離派」に展示された彼の縦長の赤い帳面はとても小さい。デッサンは線が少なくて人物中心だ。持ち歩けて直感的にささっと描けて重宝したのだろう。指先をぺろっと舐めてめくった生々しい痕跡がありそうだ。
わたしがクリムトからイメージするのは荒木経惟氏、インスタグラム、假屋崎省吾氏。
もしも来日していたら誰を描いただろう。
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台湾を旅したことがある。
「赤色」の比率が高い国だった。
ところが帰国して脳裏に残っていたのは赤ではなかった。
スターフルーツの翠がかった透けた黄色や霞深い山林の青緑や屋台の蛍光色や、火傷が一瞬で治る摩訶不思議なクリームの壺のてらてら光る黒に安っぽい蓋の金がわたしの台湾風景である。
そんなところが似ている。
クリムトは色彩に黄金を多用した。
音楽の力を絵で表した「ベートーヴェン・フリーズ」もそうだ。
これは第九礼賛の目的で描かれている。
壁画を工芸品の様に彫り、盛るように塗り、輝石や貝殻をはめ込む。
写真だと見え難い。
わたしは音が触感に変換されたり音を絶対音感で捉えたりするのだが、或る古くからの友人は色で見える、と公言する。
クリムトもそうなのか?
万博で彼が浮世絵と一緒に何を見たかは分からないが、全身が金色の日本の仏像とは金の活かし方が違うようだ。
展覧会へ足を運ぶ前はキンキラキン酔いしそうだと先入観を持っていたがそうではない。
クリムトの代名詞の金色はこの複製部屋に入ると主役ではなく材料のひとつでしかないと感じる。
別の色に置き換えてみたらどうかと想像すると、どの色に置き換えてもピンと来ない。
此処にある全て…余白(というのだろうか)も人物画も幾何学模様も削り跡も凹凸も高い天井の空間も…トータルでひとつの宇宙を形成しており、それぞれが引き立て合っている。
単純作業を黙々とこなした後に好きな歌を大声で歌うと気持ち良い。
クリムトはウィーン大学に依頼されて作製した絵を非難されて一度は受け取った報酬を返上し作品を取り返している。
耳が聴こえなくなる苦しみと闘いつつ情熱的に作曲したベートーヴェンの爆発的で圧倒的な感性に、クリムトの抑圧からの解放が共鳴してむき出しになったとしたら興味深い。
音声ガイダンスは映像付きで解説もしてくれ、クリムトがインスパイアされた第九も流れるので目からも耳からも歓喜の歌が詰め込まれて思考停止できる。
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意味を知っていてもそうでなくても今度はギョッとして思考停止する。「女の三世代」だ。
しわとたるみと退色は見られるのものの、そのアライメントはせいぜい五十代に見える。お尻のほっぺたも引き締まって垂れていない。
わたしはフィットネスクラブの女子ロッカールームで様々な国籍の様々な年齢の女性を見る。西洋人体型であっても老婆と称するには若過ぎる。か、美化されている。
クリムトの描く肉体は総じて似ている。カーヴィでお尻が引き締まり膝が伸びていて脚が長く真っ直ぐだ。顔からは人柄の個人差がはっきりと感じられるのに身体の特徴は皆共通している。そこにはクリムトのロマンが込められているのか、肉体はモチーフのひとつのように考えられているのか、単にわたしの見る目がないのか。
そして「接吻」にも見られる特有の首の直角屈曲は一度見たら忘れられない。こんなポーズをモデルにとらせたら、胸椎の2つや3つ損傷してしまう。
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クリムトのゴールドが生命力とか永遠への願いだと気付いたのは、生きているのか死んでいるのか分からないような母子の絵を見たときだ。そのタイトルは「家族」。その絵の直前に同時代の画家の、遺体の顔をアップで描いたのをたくさん見せられたから死んでしまったか少なくとも生の希望の火がまさに消えようとしている瞬間に見えてしまった。
14人の子どもをもうけてはいるが、クリムトにも身近な存在の死の実体験があった。
12歳で妹を、30歳で父と弟を、そして3番目の息子は最後3ヶ月で亡くしている。
クリムトが生の証として使ったのは頬の赤ではなくきっと金色だ。
金色は燃え盛る命の炎なのだろう。
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繁盛しているらしいのでグッズショップを1周。
どこもかしこも商品棚は金運が上がりそうな色味が揃っている。
その中で一際目立って地味なのが、どうして作ったのかクリムトご本人が猫を抱えるフィギュア。緻密な仕上がりだ。
絵をイメージした香水、アクセサリー。
日本にインスパイアされたクリムトが、今度は日本の物作り職人を刺激するターンということか。
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退出しようと総合受付の前を通るとまだまだチケットを購入する行列は長かった。
美術館には公衆電話があって、それがピンクのダイヤル式だとあらためて掛けてみたくなり、やめた。
十円玉を貯めていないことに気づいたのだ。
22年前までは常に財布に、電話がかけられるくらいの枚数は貯めていた。
電話のある場所を記憶していた。
誰かが使っていると並んで待った。
或る時はチケットの抽選予約するためにも使った。なんだか随分むかしのことみたいだ。
クリムトの方が新しくて公衆電話の方がクリムトよりもっと昔のようだ。
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公衆電話の隣にスタンプコーナーがあった。
スタンプを見ると押したくなるのはなぜだろう。
子どもにシールを渡すと何処かにぺたぺた貼りたくなるのと同じだ。
絵柄が分かっているのに押すし、曲がらないでインクが均等につくとニヤリとする。
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館内で配布していた朝日新聞の号外