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【ピーター・ドイグ展 ピーター・ドイグ氏による解説の翻訳テープ起こし】2020年02月25日内覧会 国立近代美術館 展示場内

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●右「街のはずれで」1986〜88年
●中「天の川」1989〜90年
●左「のまれる」1990年


皆様本日はお越し頂きまして誠に有難うございます。このように大勢の方に来て頂きましたことを非常に嬉しく思っています。
わたしにとっては日本初の個展となります。この美しい美術館でこの美しいギャラリーでこういう展示の中でお招きいただけましたことを本当にうれしく光栄に思っております。


まずはこの度はマスダ研究員には数多くの作品から、此処にみなさんご覧になっている以上にたくさんの作品があるんですけれども、その中から非常に多くの時間をかけてそして慎重に一つ一つ選んでくださったことを心から御礼申し上げます。
非常に面白い選択をされたなぁと思ってわたしは見ております。たとえばそこの後ろにある作品はわたしがまだ無名のアーティストだった時の作品でして、これはなんだ?っていうのも面白いと思いました。


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●「街のはずれで」1986〜88年

 

これを描いた当時、わたしはちょうどカナダのオンタリオ州のわたしの家族の農場のところにおりました。その前にロンドンに十年くらいいたんですけれども、カナダに二年半戻ることになりまして、その滞在中に描いた作品になります。
当時わたしは自分が本当に何をしたらいいのかわからない状態になりました。アーティストとしてなんとか生計を立てたい、夢を叶えたいと思いつつ、なんとか自分の生活費も稼がなければいけない、そんな状況でした。本当に何をすべきなのか、自分がどういう方向に向かうのかわからないまま描いたものがあの作品です。


これはわたしがその前に学生だった時の時代からの一つの出発点となった非常に重要な作品だと思っています。
実はそれまで風景画というものを手掛けたことがありませんでした。ですからこれはわたしはまぁ、一回限りのものかなぁと思って描きはじめたものなんですが、まさかこれが自分にとっての出発点になるとは思いもしませんでした。
このあとですね、わたしは一年をかけてすぐこの隣にありますこの「夜空」(ママ)っていう作品と、

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●「天の川」1989〜90年


その後ろにある「のまれる」

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●「のまれる」1990年

と、それから別の部屋にある作品をロンドンに戻ってから手掛けました。
わたしはロンドンに戻った時ちょうど31歳でして、社会人としてもう一度学校に戻った時でした。なんとかして、フルタイムで画家としてやっていこうと思って躍起になっていた、非常に必死になっていた時です。


わたしが戻った1989年から90年代の前半というのは、非常に、アートという意味では面白い時代でもあったんですけれども、一方で、絵画、というと面白くない、もう既に死んだ昔のものだ、やるならミニマムに、とそして材料重視、というような考えの時代でした。そして当時人気だった、ジャンルだというと、コンセプチュアルアート、そしてのちにヤングブリジストアーティスト(ママ)、「YBA」と言われているこの、運動が始まった時代でした。


そういう意味ではわたしのように好奇心溢れた画家にとっては、非常に解放された非常にオープンなテリトリーだと思いました。もちろん自分の作品を展示してもらうということを気にしたらちょっと難しい時代ではありましたけれども、とてもオープンなテリトリーだなという風に思います。振り返ってみればわたしにとっては実験できるような大切な時代でした。

ちょっとこれから個々の作品について説明するお時間はないんですけれども例えば一つこの作品を紹介したいと思います。
この「のまれる」という作品はわたしが学生の時に描いた作品になります。ちょうど、チェルシーカレッジオブアートの絵画の学部におりました、在学しておりました。
その時に絵画ばかり手掛けている仲間たちが、伝統を鑑みながらも例えば新しい材料の素材の使い方とか、そういうところに関心を持っているグループでして、わたしにとってはここでの経験が大変新鮮でした。おそらくこのグループの中で、わたしは画家として成長することができたと思います。このスタジオの外でもそして中でも、たくさんの刺激を受けました。


これを製作した当時、ちょうどチェルノブイリ原発事故があった直後でした。新聞の記事にその影響の大きさ、例えばカナダの湖は酸性雨で大きな被害を受けているとか、それからスコットランドの鹿肉が影響を受けているとか、そういう報道をたくさん見かけるような時代でした。その時にわたしがドン・デリーロという作家が書いた「ホワイトノイズ」という本を読みまして、そこで彼はその、夕日ですら原発の影響を受けているという風に書いていました。その影響も受けまして、わたしがこの絵を描いた時、その中には美しさと共に毒性というものも見出そうとしました。

じゃ、次のほうに移りましょう。

 

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●右「エコー湖」1998年
●左「スキージャケット」1994年

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●「スキージャケット」1994年

まだですね、この作品は「のまれる」を描いた四年後に手掛けた作品になります。まだその当時わたし自身非常に環境について関心を持っていましたし、どうやったら塗料とそれから天候とか自然現象とかいった要素と、そして写真とか写真からくる歪みとか、色の分離とか、再現性とかそういうものを組み合わせることができるかということを模索していました。
これは、実は父が送ってくれた写真に基づくものです。その写真というのはトロントの新聞に掲載されていた広告記事でして、日本のスキー場のどこかのリゾートの写真だったのですけれど、その見出しが、法外な価格、そして日本人のサラリーマンは、レジャーでもストレスを、混みすぎていてストレスを感じるというようなタイトルでした。
わたしもこれ非常によく写真を見ていて面白いと思ったのが、このスキーをしている人たちのほとんどがビギナーで、えー、初心者で、立つのも精一杯っていう方々の写真、こう、絵がたくさん描いてあったんです。わたしそれを見ていてふと、あ、これは絵を描くことに非常によく似ているなと思いまして、それをここに少し反映させようと思いました。
もともとこれは一つのパネルで描いていました。縦長の日本の掛け軸を思い出させるようなパネルの描き方をしてしまして、風景を描いているんですけれどもちょっとポートレイトのような感じ。これちょっと非常に日本の特徴だと思うんですが、そんなものを描いていたんですが、数ヶ月たってからそれを見たときに、あまりにも動きがないな、と思って少し左側に拡大しようと思って拡張させました。で、結果として、それぞれこう、えーと左側えーとごめんなさい右にですね、鏡、のような形になりました。
タイトルを「スキージャケット」という風に題名しましたけれど、それはわたしがカナダで青年時代を過ごしたときに友達を遠くから見分けるにはスキージャケットが一番良かった、ということなんです(本人笑い)。えーファッションセンス、カナダ人その当時私たちはあまりありませんでしたけれども、みなさん、みんなスキージャケットを着ていますからそれでなんとかお互いを見分けました。

じゃ、次に行きます。

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●右「赤いボート(想像の少年たち)」2004年
●奥「オーリンMKIV Part 2」1995〜96年
●左「ペリカン(スタッグ)」2003年

実はもうちょっと少し直近の作品をご紹介する予定だったんですけれどもあまりにも飛躍しすぎると思ったのでちょっとこちらの2004年の作品に行きたいと思います。

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●「赤いボート(想像の少年たち)」2004年

「スキージャケット」を描いたのが94年なのでちょうど10年後の作品になります。2000年にわたしは子供の頃に住んでいた、トリニダード・トバゴというカリブ海の島の方に行きました。7歳半までそこに住んでいまして、7歳半の時にカナダに戻ったんですけれども、その2000年に地元のアーティストたちと一緒に作品を作るということで、アーティストレジデンシーとして招かれました。
33年ぶりの訪問でして、わたしが子供の頃に行ったトリニダードというのは、ちょうど、独立運動の真っ最中でそういう意味では非常にエキサイティングな時代ではあったんですけれども、その33年後という、その植民地から独立したあとの時代にわたしは一体何を期待して生きていいのかわからないまんま、行くことになりました。
そんな不安を抱えながら、外国人として、そして、訪問者として一体何を自分はこの国に提供できるのか、過去は分かっているけれども、じゃ今どうなのか。そんなことがよく分からないままちょっと慎重と、な、気持ちで、(ママ)また不安を持ちながら、参りました。
で、その時にわたしはちょうどロンドンで、ジャンクショップで見つけたポストカードを持ってきました。そのポストカードというのは、南インドの、何かの被写体は南インドのかただったんですけれども、写真だったんですけれども、それ見ていてふと、トリニダードを思い出したんで、あ、これを持って行こうかなあと思って持って行きました。
そしてそれを、元に、この二つの作品を描いたんですけれども、不思議なもので、えー、トリニダードトリニダードっぽい被写体を使いつつ、でも実は南インドの、被写体だったっていう作品がこの二つのこれとこちらになります。

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●「ペリカン(スタッグ)」2003年

これは、実はトリニダードで昨晩からスタートしている、カーニバルの様子です。
ちょうど、デートと言われている四旬節キリスト教の祭りですね、が(ママ)始まる前のカーニバルでして、これも夜、日が暮れてから夜明けまで1日通して行われるものです。
で、地方から都市部に人が集まってきて、特に、首都でありますポートオブスペインには大勢の人が集まってみんな泥で自分を、体を塗ったりペイントしたりとかします。そして、その四旬節が始まる前の三日間、自由を楽しむということで大きなセレブレーションがここで行われます。「J’ouvert」と呼ばれていまして、これ、オープニングデイという風に訳されるんですけれども、こんな形で所謂仮装舞隊なんですけれどみんな真っ黒に汚れているというそんな感じのところでした。で、すごく汚いとお互いの顔もよくわからない(本人笑い)ようなものなんですけれども、えーこの一晩超えるとみんな海辺に行って海水で体を洗うというものなんです。
そんなことに着想を得て描いた作品がこちらなんですけれども、ご覧の通りここの主人公は、男性は、被写体は、黒人ですけれども、白い顔をしています。これから泥を落とすというところです。

もう一つ作品を見てから(マスコミ記者用の)質問にしても宜しいですか?

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●右「花の家(そこで会いましょう)」2007〜2009年
●奥「夜の水浴者たち」2019年
●左「ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)」2015年

これは比較的最近の絵になります。
いくつかのことからインスピレーションを受けていますが、まず一つが牢屋です。
ポート・オブ・スペインには中心部の一角に、牢屋があります。監置所、拘置所みたいなところでして、もともと1800年代後半にイギリスが建てた拘置所になります。そこを今でも使っているんですが、これ、刑務所と言っても開放された状態なので、真ん中があいています。なので、中にいる服役している人たち、服役している人たちは、外の様子がよくわかります。特にカーニバルの間は状況がよくわかるようになっています。
そしてここから20分行ったところに動物園があります。そこの動物園に行った時に、ライオンが檻の中に入れられている様子を見て、わたしは、ああ、実はここの設計は、さっき、(ママ)あの牢屋とよく似ているなと思いました。そこで、逆のことをやってみようと、描いてみよう、と思いました。

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●「ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)」2015年


檻に入ったライオンというのは、実はそのイギリスなどで感じる感じ方とトリニダードの社会では全く異なっています。
というのもライオンは非常に多くのことを象徴していまして、例えばユダの獅子という宗教的なシンボルでもありますし、町じゅうのグラフィティやそれから、落書きですね、から、Tシャツにも描かれていますし、それから「スパリアン」という運動の、団体の、にも、も、(ママ)表すのが、ライオンです。そしてキリスト教の象徴でもあります。
わたし自身、刑務所の方とだいぶ、こう、関わる機会があったんですけれども、その中にこのラスタリアントのかたも多くいらっしゃいました。
ですから、こういう状況の中で、檻の中にいるライオンというのは、やはり私たちの持っている、西洋の感覚とはちょっと異なっています。

今でもトリニダードにいることで多くのインスピレーションを受けています。だいたい、こんなところでしょうか。

 

 

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