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2023年5月10日(水)18:30アートに会おう、遊ぼう、自分を楽しもう

慶應大学の特別講座です。オンラインで受講しました。

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始まって1時間くらいでラーメンズって言葉が出ましたよ。

そうでした。ラーメンズ片桐仁さんでした。おかえり、片桐さん。


ちょこっと画面に映ったお客さんのほぼ全員会社員感。白いワイシャツ、ダークズボン。おお、丸の内。

 

ゴールデンウィーク明け、新型コロナ禍からの夜明け。

 

はじまり、はじまり。

 

「会社帰りなんですか?美術館、行きます?いないでしょう?…あ、いるんですね結構。いないってていでこんなタイトルで準備して来たんですけども。じゃ、演劇はどうでしょう?…演劇も、行くんですね…」

 

アートって何だろう。

 

ゼロが沢山つくような金額で売られたゴッホに波のように群衆が押し寄せること?

 

「江戸時代の広い敷地にそのままドーンと美術館を建てた良い気の上野」に行く休日のリフレッシュ?

 

それとも…

 

「美術館に行って皆さん何します?一歩目にその展覧会の『ごあいさつ』がある。それを立ち止まって読む。

入場したかと思ったら作品の隣のキャプションを読む。読んでから作品を観る。で、読んだことを考える。頭で。

全部頭なんです。

情報を入れに行っている。

粘土はどうか。手になんか感触がします。手から脳に信号が伝わる。気持ちいい。ワークショップでお年寄りから子供まで幅広く触ってもらう。手に取る。すると何かが出来上がっている。

粘土ってそうなんです」

 

 

そして、ご自身の経歴。

作品を紹介。


本日、おすすめする美術館

大塚国際美術館。ぜんぶ偽物。さわれるアート。触ってください。

馬高縄文館。火焔土器を作るワークショップがある。参加しました。全員にやって欲しい。全員に。

あとなんだっけ、(マネジャーに助け舟もらう)つがる市縄文住居展示資料館(カルコ)。」

 

観る、作る、触る…

 


パジコさんの白のハーティ粘土(大)が配られる。

「ちょっとちぎって回してください、後ろの人に。パンみたいに。」

学校っぽい。

一番絵の机に座っていた人は片桐さんの手から直接粘土が渡される。

ますます学校っぽい。

そうだ、学校だ。慶應大学だ。

片桐さんは三原色も持っている。こねて、混ぜ始める。

「皆さんの分はないです。色のやつ、やりたいでしょう?やるとワークショップになっちゃうから(今日は配らないです)」

 

やってみる。できるかな?

奇しくも今日、報道発表としては高見のっぽさんの訃報が流れた。

やってみることって、アートの始まりかもしれない。

 

 

それにしても、文字に起こすと、どうしてもつまらなく見えてしまってもどかしい。

だってオンラインでも、面白い。

その場に行かなくて、悔しい。

ちょっとオシャレして、サラリーマンか何かのふりして、行きたかった、丸の内。

三菱一号館の煉瓦前に座ってクロワッサンでも手にして、最盛期のバラでも見ながら、そろそろ慶応の講座の時間かなんてトレンチコートの裾でもぱっぱっとはたきたかった。ああ、悔しい。

慶応のフリをしたいワセダニアンなのだ。わたしは。ちぇっ。

 

閑話休題


粘土触ってからよりお話が面白くなるの片桐さんやっぱりアーティストだなぁと思います。

粘土前はしきりに「なんだろうなぁ、」と考えながら思い出しながら会場の様子みながらお話ししていました。

 

そういえばコロナ禍で、トークイベント的なものは3年ぶりくらい。慶應大学の特別講座in丸の内。コロナ明け(?)としてはかなりカタイ場。

 


友達で仏師の三浦さんが早稲田大学卒である話を2度して。

「だめですかこういう話(笑)」

k大でw大の話をするとちょっとムッとこられるのをよくご存知です(笑)。予定調和。

 


本日の名言

「やったことのないことをやることは楽しい」

 


質問者1人目。質問者が立った瞬間。質問が出るより前に素早く「何言ってるか分かりました?すみません」って謝る片桐さん。まだまだ、質問一言も始まっていませんよ〜。

 


どういう気持ちでアートを作っていますか?「〆切です」即答(笑)それは片桐さんの話であって、

「作り続けなきゃ死んじゃう人しかやってない。理由がわからない、わかんないとご本人が言う。どう見るかは皆さんの自由。その時の体調とかによってビビッとくるものは違う。会期の前と後半では、散々(前半に)2周くらいしたのに(後半でこんな作品あったっけというくらい)刺さったりする。」

「作る人はそんな考えてないんじゃないか。キャプション書く人は本人じゃ無い。何なら本人は死んじゃってたりするのに他人が書く。」


オンラインより2人目。宇都宮さんからの質問ですとの司会に「TMネットワークか?」同グループの名曲にちなみここ2年ほどSNSで「GetWild退社」がトレンドに上がることも。片桐さんは同世代。丸の内って「GetWild退社」にイメージがピッタリの場所だ。

 


回答。「観る人によって受け取るもの、感じることは違うから作ったらもう知らない。反応は色々。自分の評価と人の評価は違うから、もう知らない。」

 


3人目。普段どんなことからインスピレーション?「普段美術館などからモチベーションもらっていることが多い。デイヴィッド・リンチとか好きでしょって言われるけど、直接真似したいと思うけれど、ウドンケンシュタイン、ウルトラ怪獣もそうだけど当たり前が当たり前じゃなくなる瞬間がある。」

 


「リ××××?(聴き取れなかったですすみません)というアーティストが好き。作品の(?)花を持って帰って良い。ただし帰りは来たのと別の道で帰り誰かにプレゼントしてください。と言われる。どうしよう、誰に渡そう、お年寄りだったらイケるかなぁと思いながら渡さずに帰ってしまった。日本人は、じゃあ要らないと返してしまうらしい。渡していたら何かが変わっていただろう。」

 


4人目。今回のタイトルの副題、自分を楽しもう、に言葉を付け加えてほしい。「これは(人に)考えてもらったんでじゃあそれで!って。一度きりの人生だし楽しい方がいい、アートをきっかけに自分を再発見みたいな。僕はラジオの仕事をしている。やな目にあったときに(嫌だなぁと思うけれど)ラジオで喋れると楽しい。」

 


「日常の中の違和感。自分だけがこれ気付いているのかな?が作品として認めてもらうほどでなくてもあの壁が顔に見える、なんて気持ちが自分を楽しめる。へき。癖。たいがーりーは家の鍵を閉めた直後ノブをガチャガチャする。8回確認する。鍵閉め8回はやがて9回になり10回を超えてドアノブを壊した。マイルールも才能。」

 


「一歩引いたところから見たら笑ってもらえたり笑われちゃってるとしても楽しんでもらえたら自分も楽しい。これはウケるぞと思いながら作っていて反復作業していたら左右比較して一回り大きくできちゃってこっちの手はパーにしようってなる。」

 


5人目、ラーメンズを観てパフォーマーになった方からの質問。マイルールは?「あんまこうだって決めつけない。けどそれは役者だからでパフォーマーだったら違うだろう。共演者とのやりとりとか瞬間を大事にしようとは思っている。(質問者に職種を尋ねて)マジシャンなんですか?!うちも相方マジシャンでマジックの事務所やめてうちの事務所入りましたからね。」

 


6人目、オンバト観てました、の方の質問。新しいこと始める時どんな気持ちで?「今日もまさにそう。横尾忠則さんの「受け身のポジティブ」。失敗や評価下がったらと自分を支配するネガティブな気持ちもあるがやらなければ何も変わらない。僕は自分からってことはほぼない。誰かに言われたり誰かに助けられて今の自分を捨てずにやっている。転職とか、大変ですよね…僕、職に就いたこと一度もないですけど。全部捨てて全部始めるんですから大変ですよねきっと」

 


「質問していただくと僕もいろいろ思い出して助かります」

 


7人目オンラインよりひとつ目の質問。ペンネームは恐らく片桐さんのアートイベント常連の方。今日のブローチのテーマは?「アゲハの幼虫、黄金虫、クモ。遊ぼう、というテーマに探検隊のアウトドア、遊ぼう感のシャツ。いつもお世話になっているスタイリストさんがいっぱい持ってきてくれるブローチ。(オリーブグリーンのツートン?シャツジャケットの中に、蝶ネクタイの付いたシャツ)服はスタイリストさんから買った服。」

 


7人目のふたつ目質問。美術館の見方のアドバイスを。「そこで会う人には一生会わないので。(周囲が整然と並んで陳列順に歩く)リズムに(自分の歩調を)合わすより、順路通り見る必要はないが、キュレーターの想いがこもっているので順番通りに見るのも音声ガイドももちろんいいが…絵と絵の間に隙間ができる。そこはみんな早く行きたい。(みんなそこを)素通りする。で、そこへスッと(斜めから)入れる。」

 


フェルメールはちっちゃい絵ですごく混んでる。観るとギュンと引っ張られる。呪い。なんなんでしょうあれは。隙間からこうー入っていく。舌打ちはされますけどね、こうースッと入る。これがコツです。ダメですかねぇ?」

(それはわたしも行っていたのでちょっと嬉しい。ダメですかねぇ?舌打ちは悔しさの証拠だ…聴こえない、知らない…今後もスッと入ろう。)

 


8人目。「思春期で見たやつは情報がない。油絵に関してはでこぼこ具合とか本物を見ないとわからない。なんとかものにしようと観る。日展か動物園か高校の友達小林くんという人と見に行く。入場してたっぷり3時間くらい見てあーっ!疲れた!って。角を曲がったら『ここからは油絵です』と書いてある(!)。日本画だけで3時間だった。(もう真剣に見過ぎで疲れて無理だ!)帰ろう、って。」

 


9人目。すごい作品数。どこに保管?「倉庫です。什器が借りるとめちゃくちゃ高い。ギリ展の什器は自分で作った。中に引き出しあり作品が入る。これごと倉庫にしまってある。これで台湾も行った。赤い台湾用ペットボ土偶は売れなかった。作品売ってないから価値がないと言われた。本物は20年前のはもう壊れている。」

 


「少数ロットで、cowsさんみたいにソフビで売りたい。本物は壊れやすくて売るのが大変で。鯛フォンも複製したのをあげるけどヒレが痛いし落としたら怖いから使いづらいと言われる。」

 


10人目。お子さんとアートとの接点は?「これは難しいんですよね。上手い絵描いたら美大には入れるけど楽しく描いてほしい。うまい描き方を言わないようにしたい。でも言ってしまう。それを次男は嫌がる。うまいことさせようとするとうまくいかない。僕もそうやってきた。」

 


11人目。プラモはなぜ好きですか?「子供の頃ガンプラブーム。超合金は幼稚園時代。プラモが尊い理由は自分で作るから。僕は雑。根っこが雑で自分の雑さとの戦いがある。手数をやると評価してもらえる。細かいと喜んでもらえる。プラモのプロを目指してけどマックスさんがシャーザクの色塗りでこの赤はただの赤ではないという。

ピンクとオレンジの間だと。下塗りした蛍光ピンクが滲み上がる瞬間を待ってる。と言われすごい目をもった職人の世界で僕にはできないと思った。」

 


12人目。チョキはなぜ指6本か?「よく気付きました。買ったら翌日誕生日プレゼントでもらって。チェキって縦長。気づいたら6本になってた。小指の付け根の膨らみを出すために気づいたら6本になっていたというのが楽しい。頭で考えることではない。触ってたらこうなってた」

 


13人目。会心の一撃は?「公園魔。自分1人でやらなければとの気持ちが人と好みが違うし全部こうしろと言うのは面倒と思った。だけどお祭みたいにみんなでワーワーやれたのはすごい面白かった。息子が途中で飽きてやめたりコントロールできないけど楽しかった。」「これ最後どうすんだ問題。公園に置けなかった。発泡なので粉々にできると言われたが寂しくて母校のマエハラ中学の教室に置いてあり、分解して組み立てることができる。」

 


14人目。セリフをどう覚える?工夫?「ラーメンズの頃は3回くらいで覚えられたのに今全然覚えられない。今時代劇やってて全然違うセリフ言ってて口から。僕だけわかってなくて間違ってましたか?って自分で聞くくらい。皆、書く、音読する、或る落語家さんは目黒からレインボーブリッジまで歩きながら。自分もやったら途中捻挫した。」

「か行さ行た行ら行が苦手。それがなければ。二十文字なら行ける。僕がやっているのは、録音するんです。それを聴いて何言ってるかわからないところだけ練習する。(今時代劇やってて京都で撮影していて)京都弁習ったりとか大変。移動中とか、ゾーンに入った!ヨシヨシ(これは覚えたぞ)と思ってると現場で覚えられていない。」

 


「カンペとか最高です。カンペでも昭和の俳優さん最高。袴田吉彦さんはほんとご自身でもカンペ上手いよって言ってる。カンペも、目線問題とかあって。」

 


ラーメンズのとき映像記憶で。ぼく凄かったんですよ。ホントに凄かった。相方自分で書いてるので自分でアレンジするんだけど僕はロボットみたいな。アレンジされるとパニックになるんです、脳が。」

 


「質問ありがとうございました。ホント皆さん、気を遣ってくださって。」

質問コーナー終了。

 


「さっきは話すことを箇条書きにしてきたのを持ってきて話したんだけど、思いついた話すると戻ってこれなくて袋小路に入っちゃう。合計で8時間くらい会議やって来たんだけど。大丈夫でしたか皆さん。僕話出して話終わってない話ありませんでしたか?そんなのばっかりだったかもしれないですけど。」

 


「文具アート展が八月に横浜に巡回します。普通に描いた方が早いよね、なんで?って思う作品揃いですけど、是非是非おすすめです。」

 

相方は、誰も着座しない会場の世界的競技大会でその闇を切り拓かんとした。

片桐さんは、新型コロナの五類落としを機に登壇した。

勇気の要ることだ。

 

形は違えどパフォーマンスや笑いで、もう一度世界を仕切り直す。

 

どうすることも出来ないこの宇宙の仕組みの中でも、何度でも舞台を、始めてくれる。

やっぱり世界は面白かったと思わせてくれる。

 

だから、私たちはまた、足を運ぶんだ。

アートに会おう、遊ぼう、自分を楽しもう。

「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」

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鳩サブレー」を一口大に割る。破片の他に生まれた無数の粒をピンセットで拾い上げ数え元通りになどは、しない。

 

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コロナ禍で開催自体が奇跡とのこと、有り難い。本展のために来日する予定だった他国の修復家に代わり剥落する粉の一粒まで拾う日本人修復家の謹厳さは、借用元のベルリン国立博物館群エジプト博物館のオリビア・ツォーン副館長に絶賛されたそうだ。

今年2021年の大エジプト博物館開館予定を前に考古熱が世界的に高まる中、非常に状態の良い物ばかりの展示だ。

 

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「全ては海から始まった」茫洋たる神話の世界が一室目から展開する。歴史の教科書を大学受験用丸暗記型の勉強しかしてこなかった文系似非エリートとして、物語形式で学び直せるのは子供心を取り戻す体験である。

 

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古代エジプトは同じ八百万の神で親しみ易いが、乾いた風の大陸ではその信仰を石に刻み執念深く何千年も記録を残している。パピルスも現存するがそれでも彫刻を選んだ理由は何だろう?ぎっしりと描き尽くされたステラ(石碑の総称。図録に用語詳細解説有り)は「耳なし芳一」を彷彿とさせる。たとえば無地の容れ物にご遺体と書きたいことを書いた紙だけ入れて封するのでは生まれ変わるのに足りないと考えられたのだろう。でもだからってこんなにも。

 

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大多数の観覧者は動物を模した彫刻に釘付けだった。たしかに閉園中の上野動物園の代わりに来館しても楽しめそうなほどたくさんの動物神が観られる。

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わたしの興味は石版のレリーフやマスクの銘文のデモティック(民衆文字)だ。

浮き彫りが非常に高い技術で、彫る人の人柄が伝わるではないか。微妙に真っ直ぐではない並び、経年劣化かうっかり削り落としてしまったか意図的かいずれにせよ謎めいた味のある剥落、同じ文様も左右で少しずつ違うのを見比べる。計算尽くでない人間味。神々しい中にも愛おしさといにしえの人の手の温もりを見つけられる。

 

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どれが日本人に依る、鳩サブレーの掃き寄せを摘んで元の位置に戻すすような、気の遠くなる修復作業の結実なのか分からないが、つい数年前の作品と言われても気付かない美しさだ。


本展の出口すぐのグッズ店で、ヒエログリフで日常を綴ろうと楽しいことを提案する本が積まれていた。

「はじめてのヒエログリフ実践講座」https://www.amazon.co.jp/dp/4562049332/ref=cm_sw_r_cp_api_fabc_VIt8FbXMFMYVS

これを用い内緒の日記を書けば暗号のようで楽しそうだ。レジに運び再来時に展示物を読む辞書として持ち込むのも一興か。

 


一室目で日本初展示の像を撮っておこうとカメラを構えた親子はその後の部屋も日本初展示盛り沢山でクラウドの空き容量を心配していた。

王家の像は仏教美術にも通じる穏やかさと厳粛さを併せ持つ。

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かと思えばスカラベと人間の頭部と四肢が混合したトンデモ芸術が現れる。まるでサブカルだ。伝統とは厳かなだけではない。

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小ささに目を凝らす機会も多かった。これからのご来訪なら単眼鏡必携。

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また、キャプションは数秒で読める文字数に限っている。休憩のソファやベンチに至っては皆無。密を避ける工夫だろう。アニメのスペースは密になる唯一の場所だが、混み合いそうになるや否や監視員さんが誘導する。解説は図録に豊富で、読めば神話での位置付けや意味を知ることができる。そして再入場不可。

 

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グッズは館内2箇所の販売店に分散されている。本企画展を出てすぐのスペースと、1階玄関付近。6階のショップは閉店中だった。監修者で1月10日に講演来館予定の近藤二郎早稲田大学文学学術院教授・早稲田大学エジプト学研究所所長の近著の在庫は1階に僅かに有った。

古代エジプト解剖図鑑」https://www.amazon.co.jp/dp/4767828201/ref=cm_sw_r_cp_api_fabc_Ebw8FbAF97M0W

子供でも読める。軽くて分かり易い。先に記したヒエログリフの本は6階に在る。これも近藤教授に拠る。

本展及び常設展はアニメを除きどこでも何枚でも写真撮影可だが、プロの写真はやはり分かりやすい。表紙の煌めく加工もロマンが込められている。

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360度観られる物は限られているが必見の物は鏡が設置されている。

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多めに配置された監視員さんの誘導が的確で渋滞が起きない配慮が細やかだ。それでも立ち入り禁止線を踏み越えてしまう熱心さは同情を禁じ得ない。エジプトやイギリスで見る、デカくて金ピカばかりではない、メリハリの効いたドラマティックな部屋割りに是非心弾ませっ放しだ。

 

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1月2日(土)、1月3日(日)は常設展が無料。コロナ前は外国からの観光客が絶えなかった、だだっ広い空間で写真も思う存分撮れる。

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1階コラボカフェは1月2日(土)から。エジプトの味。一部テイクアウト有り。

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【ピーター・ドイグ展 ピーター・ドイグ氏による解説の翻訳テープ起こし】2020年02月25日内覧会 国立近代美術館 展示場内

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●右「街のはずれで」1986〜88年
●中「天の川」1989〜90年
●左「のまれる」1990年


皆様本日はお越し頂きまして誠に有難うございます。このように大勢の方に来て頂きましたことを非常に嬉しく思っています。
わたしにとっては日本初の個展となります。この美しい美術館でこの美しいギャラリーでこういう展示の中でお招きいただけましたことを本当にうれしく光栄に思っております。


まずはこの度はマスダ研究員には数多くの作品から、此処にみなさんご覧になっている以上にたくさんの作品があるんですけれども、その中から非常に多くの時間をかけてそして慎重に一つ一つ選んでくださったことを心から御礼申し上げます。
非常に面白い選択をされたなぁと思ってわたしは見ております。たとえばそこの後ろにある作品はわたしがまだ無名のアーティストだった時の作品でして、これはなんだ?っていうのも面白いと思いました。


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●「街のはずれで」1986〜88年

 

これを描いた当時、わたしはちょうどカナダのオンタリオ州のわたしの家族の農場のところにおりました。その前にロンドンに十年くらいいたんですけれども、カナダに二年半戻ることになりまして、その滞在中に描いた作品になります。
当時わたしは自分が本当に何をしたらいいのかわからない状態になりました。アーティストとしてなんとか生計を立てたい、夢を叶えたいと思いつつ、なんとか自分の生活費も稼がなければいけない、そんな状況でした。本当に何をすべきなのか、自分がどういう方向に向かうのかわからないまま描いたものがあの作品です。


これはわたしがその前に学生だった時の時代からの一つの出発点となった非常に重要な作品だと思っています。
実はそれまで風景画というものを手掛けたことがありませんでした。ですからこれはわたしはまぁ、一回限りのものかなぁと思って描きはじめたものなんですが、まさかこれが自分にとっての出発点になるとは思いもしませんでした。
このあとですね、わたしは一年をかけてすぐこの隣にありますこの「夜空」(ママ)っていう作品と、

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●「天の川」1989〜90年


その後ろにある「のまれる」

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●「のまれる」1990年

と、それから別の部屋にある作品をロンドンに戻ってから手掛けました。
わたしはロンドンに戻った時ちょうど31歳でして、社会人としてもう一度学校に戻った時でした。なんとかして、フルタイムで画家としてやっていこうと思って躍起になっていた、非常に必死になっていた時です。


わたしが戻った1989年から90年代の前半というのは、非常に、アートという意味では面白い時代でもあったんですけれども、一方で、絵画、というと面白くない、もう既に死んだ昔のものだ、やるならミニマムに、とそして材料重視、というような考えの時代でした。そして当時人気だった、ジャンルだというと、コンセプチュアルアート、そしてのちにヤングブリジストアーティスト(ママ)、「YBA」と言われているこの、運動が始まった時代でした。


そういう意味ではわたしのように好奇心溢れた画家にとっては、非常に解放された非常にオープンなテリトリーだと思いました。もちろん自分の作品を展示してもらうということを気にしたらちょっと難しい時代ではありましたけれども、とてもオープンなテリトリーだなという風に思います。振り返ってみればわたしにとっては実験できるような大切な時代でした。

ちょっとこれから個々の作品について説明するお時間はないんですけれども例えば一つこの作品を紹介したいと思います。
この「のまれる」という作品はわたしが学生の時に描いた作品になります。ちょうど、チェルシーカレッジオブアートの絵画の学部におりました、在学しておりました。
その時に絵画ばかり手掛けている仲間たちが、伝統を鑑みながらも例えば新しい材料の素材の使い方とか、そういうところに関心を持っているグループでして、わたしにとってはここでの経験が大変新鮮でした。おそらくこのグループの中で、わたしは画家として成長することができたと思います。このスタジオの外でもそして中でも、たくさんの刺激を受けました。


これを製作した当時、ちょうどチェルノブイリ原発事故があった直後でした。新聞の記事にその影響の大きさ、例えばカナダの湖は酸性雨で大きな被害を受けているとか、それからスコットランドの鹿肉が影響を受けているとか、そういう報道をたくさん見かけるような時代でした。その時にわたしがドン・デリーロという作家が書いた「ホワイトノイズ」という本を読みまして、そこで彼はその、夕日ですら原発の影響を受けているという風に書いていました。その影響も受けまして、わたしがこの絵を描いた時、その中には美しさと共に毒性というものも見出そうとしました。

じゃ、次のほうに移りましょう。

 

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●右「エコー湖」1998年
●左「スキージャケット」1994年

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●「スキージャケット」1994年

まだですね、この作品は「のまれる」を描いた四年後に手掛けた作品になります。まだその当時わたし自身非常に環境について関心を持っていましたし、どうやったら塗料とそれから天候とか自然現象とかいった要素と、そして写真とか写真からくる歪みとか、色の分離とか、再現性とかそういうものを組み合わせることができるかということを模索していました。
これは、実は父が送ってくれた写真に基づくものです。その写真というのはトロントの新聞に掲載されていた広告記事でして、日本のスキー場のどこかのリゾートの写真だったのですけれど、その見出しが、法外な価格、そして日本人のサラリーマンは、レジャーでもストレスを、混みすぎていてストレスを感じるというようなタイトルでした。
わたしもこれ非常によく写真を見ていて面白いと思ったのが、このスキーをしている人たちのほとんどがビギナーで、えー、初心者で、立つのも精一杯っていう方々の写真、こう、絵がたくさん描いてあったんです。わたしそれを見ていてふと、あ、これは絵を描くことに非常によく似ているなと思いまして、それをここに少し反映させようと思いました。
もともとこれは一つのパネルで描いていました。縦長の日本の掛け軸を思い出させるようなパネルの描き方をしてしまして、風景を描いているんですけれどもちょっとポートレイトのような感じ。これちょっと非常に日本の特徴だと思うんですが、そんなものを描いていたんですが、数ヶ月たってからそれを見たときに、あまりにも動きがないな、と思って少し左側に拡大しようと思って拡張させました。で、結果として、それぞれこう、えーと左側えーとごめんなさい右にですね、鏡、のような形になりました。
タイトルを「スキージャケット」という風に題名しましたけれど、それはわたしがカナダで青年時代を過ごしたときに友達を遠くから見分けるにはスキージャケットが一番良かった、ということなんです(本人笑い)。えーファッションセンス、カナダ人その当時私たちはあまりありませんでしたけれども、みなさん、みんなスキージャケットを着ていますからそれでなんとかお互いを見分けました。

じゃ、次に行きます。

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●右「赤いボート(想像の少年たち)」2004年
●奥「オーリンMKIV Part 2」1995〜96年
●左「ペリカン(スタッグ)」2003年

実はもうちょっと少し直近の作品をご紹介する予定だったんですけれどもあまりにも飛躍しすぎると思ったのでちょっとこちらの2004年の作品に行きたいと思います。

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●「赤いボート(想像の少年たち)」2004年

「スキージャケット」を描いたのが94年なのでちょうど10年後の作品になります。2000年にわたしは子供の頃に住んでいた、トリニダード・トバゴというカリブ海の島の方に行きました。7歳半までそこに住んでいまして、7歳半の時にカナダに戻ったんですけれども、その2000年に地元のアーティストたちと一緒に作品を作るということで、アーティストレジデンシーとして招かれました。
33年ぶりの訪問でして、わたしが子供の頃に行ったトリニダードというのは、ちょうど、独立運動の真っ最中でそういう意味では非常にエキサイティングな時代ではあったんですけれども、その33年後という、その植民地から独立したあとの時代にわたしは一体何を期待して生きていいのかわからないまんま、行くことになりました。
そんな不安を抱えながら、外国人として、そして、訪問者として一体何を自分はこの国に提供できるのか、過去は分かっているけれども、じゃ今どうなのか。そんなことがよく分からないままちょっと慎重と、な、気持ちで、(ママ)また不安を持ちながら、参りました。
で、その時にわたしはちょうどロンドンで、ジャンクショップで見つけたポストカードを持ってきました。そのポストカードというのは、南インドの、何かの被写体は南インドのかただったんですけれども、写真だったんですけれども、それ見ていてふと、トリニダードを思い出したんで、あ、これを持って行こうかなあと思って持って行きました。
そしてそれを、元に、この二つの作品を描いたんですけれども、不思議なもので、えー、トリニダードトリニダードっぽい被写体を使いつつ、でも実は南インドの、被写体だったっていう作品がこの二つのこれとこちらになります。

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●「ペリカン(スタッグ)」2003年

これは、実はトリニダードで昨晩からスタートしている、カーニバルの様子です。
ちょうど、デートと言われている四旬節キリスト教の祭りですね、が(ママ)始まる前のカーニバルでして、これも夜、日が暮れてから夜明けまで1日通して行われるものです。
で、地方から都市部に人が集まってきて、特に、首都でありますポートオブスペインには大勢の人が集まってみんな泥で自分を、体を塗ったりペイントしたりとかします。そして、その四旬節が始まる前の三日間、自由を楽しむということで大きなセレブレーションがここで行われます。「J’ouvert」と呼ばれていまして、これ、オープニングデイという風に訳されるんですけれども、こんな形で所謂仮装舞隊なんですけれどみんな真っ黒に汚れているというそんな感じのところでした。で、すごく汚いとお互いの顔もよくわからない(本人笑い)ようなものなんですけれども、えーこの一晩超えるとみんな海辺に行って海水で体を洗うというものなんです。
そんなことに着想を得て描いた作品がこちらなんですけれども、ご覧の通りここの主人公は、男性は、被写体は、黒人ですけれども、白い顔をしています。これから泥を落とすというところです。

もう一つ作品を見てから(マスコミ記者用の)質問にしても宜しいですか?

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●右「花の家(そこで会いましょう)」2007〜2009年
●奥「夜の水浴者たち」2019年
●左「ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)」2015年

これは比較的最近の絵になります。
いくつかのことからインスピレーションを受けていますが、まず一つが牢屋です。
ポート・オブ・スペインには中心部の一角に、牢屋があります。監置所、拘置所みたいなところでして、もともと1800年代後半にイギリスが建てた拘置所になります。そこを今でも使っているんですが、これ、刑務所と言っても開放された状態なので、真ん中があいています。なので、中にいる服役している人たち、服役している人たちは、外の様子がよくわかります。特にカーニバルの間は状況がよくわかるようになっています。
そしてここから20分行ったところに動物園があります。そこの動物園に行った時に、ライオンが檻の中に入れられている様子を見て、わたしは、ああ、実はここの設計は、さっき、(ママ)あの牢屋とよく似ているなと思いました。そこで、逆のことをやってみようと、描いてみよう、と思いました。

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●「ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)」2015年


檻に入ったライオンというのは、実はそのイギリスなどで感じる感じ方とトリニダードの社会では全く異なっています。
というのもライオンは非常に多くのことを象徴していまして、例えばユダの獅子という宗教的なシンボルでもありますし、町じゅうのグラフィティやそれから、落書きですね、から、Tシャツにも描かれていますし、それから「スパリアン」という運動の、団体の、にも、も、(ママ)表すのが、ライオンです。そしてキリスト教の象徴でもあります。
わたし自身、刑務所の方とだいぶ、こう、関わる機会があったんですけれども、その中にこのラスタリアントのかたも多くいらっしゃいました。
ですから、こういう状況の中で、檻の中にいるライオンというのは、やはり私たちの持っている、西洋の感覚とはちょっと異なっています。

今でもトリニダードにいることで多くのインスピレーションを受けています。だいたい、こんなところでしょうか。

 

 

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【ピーター・ドイグ展 解説テープ起こし】2020年02月25日内覧会 国立近代美術館地下一階講堂にて(後半)(前半は記載しておりません)

1993年にEU発足するなど東西冷戦の形が崩れて、第三世界の区分も無くなって、世界が多極化していく時代。いわゆる多文化主義的な時代が幕開けしていく時代にですね、文化的にもですね、そうした兆候というのは同時並行的で見ることができるのです。

ドイグさんの作品というものも非常に極めて、色んな、えー、ざっくり言ってしまうと多文化的な要素が見て取ることが出来ます。

例えば西洋美術史の豊富な参照源に裏打ちされているのですけれども外部との接点を同時に持っています。

例えばカナダという美術史的にはかなり周辺的に位置付けられている近代美術の一部やその土地の風景というものからインスピレーションを受けて作品を作っていたりですね、或いは、モダンアートの中において決して主題になることの無かったようなカリブ海の風景だとか、あるいはその歴史といったものを解いてあげたりとか。更にはそうしたものを古今東西縦横無尽に結び付けて一つのイメージを作り上げる。こうしたことが彼の作品の大きな特徴の一つを形成しているわけす。

 

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左が2004年のドイグさんの作品です。真ん中がジェームス・ウィルソン・モリスというカナダの近代画家の作家の作品です。この人結構面白いんですけどどういう作家かと言いますとこの作家はドイグさんと同じでカリブ海のいくつかの島々を巡って当時この絵を描いているんですね。・・・・・・・。或いは左のドイグさんの作品にあるような色面が・・・を介して色面が歓迎されていくというのが19世紀後半の・・・派の作家に見られるということで、様々なこうした美術史的な知識というものを踏まえつつ新しい要素へと刷新しています。ちなみに左の赤い方の絵はインドの絵葉書にインスピレーションを受けているらしいんですね。・・・・・・・。この絵の背後に、展示中に見つけたのですが、シルバービートルズが描かれています。何故描いたかを尋ねたところ、インドの絵で見に来た人たちがマッシュルームカットのようなボブカットで、それがビートルズみたいに見えるから、ということなんですが、自分の愛称としてシルバービートルズと名付けているだけなんだとか。今スライドだと全然見えないんですが空の場面がシルバーで描かれています。・・・・・・。よくドイグは音楽との接点が実はあります。

 


このように様々な条件が重なり絵画史なり絵画市場の転換や多様化する芸術表現の時代の中で敢えて彼が描くカウンター的な在り方、そして多文化主義的な時代における芸術表現の在り方というものを現在の作品に対する、ドイグ作品に対する今日的な評価というものを前提としてあるのだろうと思います。ただし勿論作品そのものが魅力的であるということが大前提としてあるわけです。

 


というわけで彼の作品の魅力というものを、ごめんなさい時間が少なくて申し訳ないんですけど短く、なるべく短く、ご紹介していきたいと思います。

 

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まずはこの絵の具の質感。・・・を駆使した豊かな表現、というところです。それでちょっと一つだけあげたいのはですね、これですね、この作品、えー。チラシのおもて面に使わせて頂いたんですけれど、シカゴ美術館の所蔵の「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」という作品です。

この作品図版ではなかなか、スライドでも当然わからないですけれども、実物の前に立つと下段ですね、この下段の、絵の具の質感がですね、なんでしょうね。砂糖が結晶化したような或いは霜が降りたように不思議な・・・半透明の、なんていうんでしょうか、層を感じさせるんですね。それがあるからこそ上部と中断部がものすごく遠くのように感じられます。つまり視覚的なパースペクティブのみならず、絵の具の物質的な適度な調整によってですね、えー、によってでも、遠近感が大きく広がるのです。この絵の前に立って物理的に知覚しない事には私たちには認識できない代物なんですね。でもこの質感の全然違うものをこの上下三分割した構造の中の一角に占めてしまうとこの絵画の全体が破綻してしまう恐れがあると思うんですけど、ただ上段と下段の色をしっかりと合わせることによってこの全然違う質感のものが破綻なく一枚に合わす。という風にこの非常に物質的な要素を巧みに使いながら絵を描く、ということが彼の非常に面白いところ。

なので是非ですね、一個一個の作品、或いは細部と細部、或いは細部と全体との関係性をこう、仔細に辿っていくとですね、また見え方がどんどん変わっていく。というのが彼の作品の持っている大きな大きな特徴である。

 

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もう一つご紹介したいのがこの作品ですね。

これはこの、画面の中央に薄く溶いた水色の絵の具が流れているんですね。これは本当に絵の具が流れているだけなんですけれども、ヤシの木の間から流れているのがあたかも滝のように見えます。朱に反映された暗色系の色味にしてここだけ赤色なのでまるで光がここからバーっと流れ出しているかのようにも、見えるわけです。

で、この作品はトリニダードで彼が経験したある出来事に由来して絵を描いているのですけれども、でも自分の経験だけではなく、自分の経験だけでこれを作っているわけではありません。ここの人物の造詣はインドの古い絵葉書に用いられていて、画面の構造そのものは・・・リチャードシュフなどの論考の中に指摘があるんですけれどアンリ・マティスの作品の作品構図そのままを思わせるような分離になっています。

ここでも様々な参照源によって一つのイメージが組み合わされている。がゆえに私たちはこの中から色んな、こう、自分たちの記憶の引き出しが刺激されてですね、様々な、それぞれの自分の記憶を引き出す、えー、・・・イメージを思わず引き出してしまう。ここも彼の作品の面白いところです。

 

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それから絵画表現の豊かさ、というところも指摘したいところですね。例えばこれは卓球をしているおじさんなんですけど、というか他もおじさんの絵ばっかりなんですけど、えーとこの背後に描かれているのはビールケースが積み上がっている、えー、厚みがあるんですけどそれが抽象的な形に還元されていて極めて平面的な要素というものを強めています。しかし絵画の平面的な要素がここにあるからこそ、その背後の空間ですね、が、そのまま強調されていますし、この水平線、白い卓球台の水平線の、右側に人物がいるんですけど右側(ママ)に人物がいない。で、このことによって左側の空間を存在、というものを想起させる。

つまり彼の絵画というのは描かれている画角以上の空間というものがこの、横だったり背後だったりあるかのように想像させられる絵画の作り方をしていて、それがゆえに、描かれている空間以上に広さ、豊かさ、奥深さ、というものを感じさせてくれるような性質を持っています。

ここの微妙に白い水平線が白い卓球台を強調していますけれどこうした水平線が初期から最新作までずっと繰り返し描かれていますけれど、この水平線が絵画を分断しているのでその左の先だったり右側の先だったりいつまでもその水平線が続いていくように水平線によって強調されていると思います。

 

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それから同じモチーフが反復される。

これも非常に重要な事だと思います。カヌーというモチーフが・・・初期から重要なモチーフだったんですけど、これがまあ、繰り返し描かれることによって微妙に変わっていく。その事によってあたかも物語が展開しているように見とる事もできる。私たちの想像力というものはこうした色んな絵画の彼の作品群の結びつきを感じることによって一枚の絵を、私たちの想像力は一枚の絵を、飛び越えて複数の絵とのつながりの中でその関係性を見出していく、という風に思いを誂えてしまうわけです。そうした形で彼が・・・についてさらに物語というものが幅広く頒布されるというようなことが彼の作品の特徴の一つになっています。

というわけでこうした彼の作品というものは実際に描かれた空間の広さだけではなく描かれていない領域にも繋がりうる可能性というのを示唆しているために見た目以上に広く感じられるのではないか。ゆえに彼の絵画を見るには非常に、非常に時間がかかるというわけです。

 


最後。駆け足で申し訳ありませんけれど、感覚を描く、というのです。

しばしば彼の作品は、誰もが見たことがあるような懐かしさを感喚させるにも関わらず誰もみたことが無い風景が描かれている、という風に言われることがあります。彼の作品は確かにエドワルド・ムンクだったりとかファン・ゴッホだったりとかポール・ゴーギャンだったりとか或いはゴヤといった美術史の豊富な参照源がそこに含まれている。或いは「13日の金曜日」のワンシーン。先ほどのカンヌの絵画は「13日の金曜日」のあるシーンから捉えているなどといった大衆的な映画の既存のイメージを手掛かりにして描いていると言われています。

このため誰もが自分の記憶と関わるイメージであるかのようにそれを眺めてしまう。なんかこれどこかで眺めたことがある。と誰もが感じてしまうようなそうした不思議な魅力を持っているわけです。然し乍らそれ以上にですね、彼の作品というものは私たちの知覚、或いは何か見たり感じたりするときの感覚そのものというものを描いているからこそ誰もが共感を抱いてそして、自分ごとのように見えてしまうのでは無いかと思います。彼自身もこのようにいっています。

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ということで色々と長くなってしまうので端折りますが、大事なことは感覚を増幅させるために非常に色彩をデフォルメして例えば雪というのは白でなければならないけれどもピンクであるとか、或いはビビッドなオレンジとか。そうすることによって見る人とか、或いは作家とかが感覚というものを増幅させる。感覚を増幅させるために絵画的な技法というものを駆使する、というようなことをいっています。

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こうした先ほどいま申し上げたように突き抜けた、ピンクのように見える雪、或いはコンクリート・・・この絵画における、木の間から建物が覗くときのふとした瞬間の遠近感の消滅した感覚、或いはこういうですね、

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これはトリニダードドバゴの市中にあるある監獄を描いたものなんですけど大きな建物の間の小道がふっと見える。そのときのせり上がった小道の感じが見える瞬間の感覚。

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これわたしの経験で恐縮なんですけど左側はドイグさんの作品で右側はわたしが昨年福島の五色沼に行ったとき撮った写真で、この作品(ママ)を見たときドイグさんの作品に似てるな、と思ったんですね。似てるな、と思ったのは単に色彩が似ている、構図が似ているということではなくて、五色沼、人が誰もいなくて風がフーッと吹き去る時のえも言われぬ美しさとちょっと怖い不穏な雰囲気なんです。この感情、この息をのむほど美しい風景ながらもどこか不安にもさせるこの感覚このそのものがドイグさんの持っている作品の技術性質と非常に似ているなと思ったんですけどこんな風に私の記憶とドイグさんの記憶を結びつけてしまう。それは彼の作品が単に具体的な場所だったりとか自分のパーソナルな経験を描いているわけではなくて、むしろ誰もがそうした光景に出会ったときの感覚、というものを描いているからこそ、その光景を本当に知らない人にも繋がる、ていう、そういうことでは無いのかと思っております。

 


早口でまくし立ててしまって恐縮なんですけども、本展は大まかに三章で構成されており、第一章は森も奥へと申しましてカナダの風景が描かれています。これはドイグさんがロンドンに居た時に取り組んでいた一連の作品群です。

第二章は2002年以降トリニダードトバゴに自身の制作の拠点を移します。それに基づいてですね、海辺の風景が増えてきたんですね、或いは海を思わせる光景。そうした2002年以降現在にかけて描かれた作品群というのをご紹介いたします。

第三章はトリニダードに移住してですね、映画の上映会のサークルを結成するのですけれども、そこで描かれたポスターをご紹介します。

展覧会は油彩画が32点でドローイングが40点、の計72点で構成されております。少数ながらも初期から最新作が一堂に揃うまたと無い機会だと思います。32点と聞きますと少ないと感じられるかもしれません。ちなみにもうご覧になった方はそのような印象は抱かなかったのでは無いかなぁと思うんですけれども、戯れに、非常に戯れにこの32点の作品の総面積を算出いたしました。168万2791平方センチメートルです。これは例えば岸田劉生の面積で割ると、岸田劉生の972万点になるんです。(会場笑い)

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これ多すぎて想像もつかないと思うんで、わけもわからないと思うのでもうちょっと大きな作品にしますと萬鉄五郎「裸体美人」。

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これそこそこ大きいです、高さ162センチ横97センチです。これでも約107点分です。ですから32点と申しましても萬鉄五郎「裸体美人」107点分並んでいる展覧会を想像していただければこれはとんでもなく見所のある展示なんだろうなということを想像していただけるのでは無いかなぁと思うわけです。

もちろん面積というものだけではなくて今回厳選して自信を持って初期から最新作まで本当に代表作しか来ていないという状況でございますので非常に見応えがある展示になっていると思います。

 


えー、最後に主催者がこのように申し上げるのも面映ゆい限りなんですけれども、皆さんにですね、なかなか貴重な展覧会をご提供できたのでは無いかと思っておりますので多くの人に本当に見てもらいたいと思っています。多くの人に見てもらうということはですね、私どもの美術館に限らず、日本の美術館全体に今後の活動からも大変重要だと考えております。つまり今後も継続的に大きなご協力が・・展覧会が開催できるようになるためにはこのような展覧会に人々の注目が集まってですね、実際に結果が現れるということが重要なわけでございます。そのためにもここにお集まりの皆さんのご協力がもう欠かせません。ですからどうかどうか何卒お力添えをよろしくお願いいたします。駆け足で恐縮ではありますけれどもわたしからは以上となります。

エドワード・ゴーリー展 練馬区立美術館

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中村橋はこじんまりとした住みやすそうな町だ。

駅からすぐに児童が何をするでもなく大勢遊んでいる平和な公園があって、一目で区画の全てが見渡せる安全さで、その中の階段を上がると目当ての美術館がある。練馬区立美術館。

 

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美術館の前にも金色のオブジェがあるのだがそれが彫刻なのか公園に置かれた動物や虫たちをかたどった遊具のひとつなのかぱっと見では区別を付けにくいくらい自然に置いてある。

 

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公園には大きな木がクマの形に刈られていて看板を両手で持っている。

 

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ライオンの遊具は実物大より大きなライオンで、背中に子供が三人乗って他愛もないサファリごっこを繰り広げている。所狭しと子供が遊んでいるが、どんな遊びとも判別つかない遊びで、彼らにとって生きるとはこんなに楽しいことなのかとしみじみと眺めてしまう。

 

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こんな空間で、主に絵本を描いた作家の展覧会を行うのは最適、としか言いようがないのだが、それがエドワード・ゴーリーとなると話は別だ。

 


本の中でわたしは何人も子供を殺した。

 


この作家の絵本の解説の中にある。その通りで、知っているから見に来たので子供で賑わう公園の敷地内でこのようなおどろおどろしくも精緻な絵を見るようセッティングされたことにひとつの演出を感じてしまう。

 

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「うろんな客」と「おぞましい二人」は特に有名だ。和訳は秀逸でリズム感に優れ、キャラクターには説得力があるような無いような、現実には絶対に存在しない見た目なのに這ってでも夢に出てきそうな存在感がある。

 

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一階の平台のガラスケースに入った作品たちはゴーリーがどんな手順で描いたか分かる、描きかけみたいなメモがある。あ、よかった、作り物なのだ。

 

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エドワード・ゴーリーは日本の影響を受けている。北斎漫画みたいなおどけた動きとか海の波のうねりが垣間見られる。それだけではなくて源氏物語の登場人物から名前を借りてもいる。可愛げのある人だな、と口に出して言いたかった。何かホッとできる要素を探さざるを得なくなっていた。

 


竜と人…多分あれはゴーリー本人だ…がプレゼント交換をする絵が唯一の癒しだ。二階に飾ってある。二階にまで上がるともう一階で既に洗脳されているから、このようなホッとする絵は次の絵から不穏で不安な思いを連続的にさせられる前フリなのではないかと疑念を抱くようになっていた。


怪物のフィギュアや戦争の絵より怖いのはこの人の描く人間の本質だ。それらが自然の形をしていたり可愛い動物の形をしている。子供を抱いた熊の木だって絵なのでこちらに向かって襲ってくる事は絶対にないとわかっているはずなのだが、あ、もうすぐこれはこの子を絞め殺すなぁ、という気配を持っているし、隙あらば絵カラ現実二展開シヨウカとこちらを窺っている。いやいややめてくれ、わたしはやめてくれ、などと隣を空けたりする。もう怖いから最前列で見るのは控えて2列目で人と人の頭の間から恐る恐る見る。

 

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水彩や版画も見られた。水彩を使ってここまでどんよりとした気配を表すのに執心する画家を他に見たことはない。

 

 


どんよりとか不穏とか不安とか、ムンクで浸れる世界観にも共通する言葉でしか表現出来ないが、実際の絵を見た時の、常に誰かに後ろから首根っこを見つめられているような感覚はひと言では表せない。


とても心細い。なんだか遠い所へ来てしまった。距離もそうだが、平凡な幸せほどオソロシイ。日暮れ前でキャッキャと高い声が響く公園を抜け商店街、ひとりで歩いていることがあり得ないほど不安だ。ゴーリーの世界観から抜け出すために平穏な日常を求めても、それがもっと深い谷に落とすための前触れのような気がしてならなくてもがくのに、美しくて繊細でよく出来ている彼の絵本をわたしは再び開いてしまう。

お話の森2019年8月4日 7/7 番外編

・夕の部の中盤でマイクが音を拾わないハプニング。

 


声を拾うたびマイクを通した声は機械的にくぐもりボソボソと雑音が入ってしまいます。

片桐さんもスタッフさんも気付いているのかいないのか平静顔で4冊目の『サトシくんとめんたくん』を終え、黒子(音声スタッフ)さんが何の前触れもなくやって来て電池パックとヘッドセットマイクを舞台の上手で取り替え始めました。

 


服がめくれて1番下に着ていた白いTシャツまで見えてしまって

 


「立ち見のお客さままで、すみませんね。こんな見せるつもりのないものまで見せてしまって」

 


えっ!立ち見のお客さんがいるの?とつい前方の席のみんなが一斉に振り返ります。

目線を向けられたお客さんもつい愛想笑いしてしまいます。取るはずのない間が続きます。

 


「舞台というのは、こうやって何があるか分からないものです」

 


しょうがないと割り切り、敢えて面白いことは言わないおつもりなのかな?

と、そこで

 


「心が綺麗な人にはなんーっにも見えないんですよぉ!?ね?」

 

黒子さんの存在を全否定。
愛想笑いで顔が半分笑っていたみんながドッと顔相崩して笑わされてしまいました。

 


今や大人も子どもも知る人気者ではありますが、今回のゲルから始まるオープニングからトラブルまでもが温かい雰囲気に包まれてなお一層和んだのは手作り感で舞台と客席の心理的距離が近いこととに加えて片桐さんのお人柄ゆえでしょう。

 


かえって客先と舞台が近付いて、最後の『つちはんみょう』が引き立ったように感じます。

 


「もうあと一冊で終わっちゃうんですけどね」

 

 

 

 


さて、黒子さん、なかなかマイクを取り替え終わらずに片桐さんもお話することが無くなり、しんと舞台は動きません。

子供たちもおりこうさんにして見守っています。

しまいに片桐さんはマイクの調子の悪さをご自分のせいにしてしまいます。

 


「さっき、やまぼうの中でずっと座ってて足痺れちゃったから、そん時におかしくなっちゃったかなぁ〜?」

 


緊張感で張り詰めてもおかしくない状況下でのとぼけた優しさが、笑い疲れた頬をまた緩ませてくれました。

 

 

 

 


デハラユキノリさんが作ったピンクのティッシュケースは片桐さんのご自宅用のめんたくん。会場からは「かわいい〜」の声ちらほら。

それを持ち出したり犬のぬいぐるみを2つも使って戯れる片桐さん。…と、わんちゃんに顔を舐められた!

 


「あぁ犬くさい!」

 


そんな文章は『きょうはなんのひ』のどこにも書かれていませんよ。自分の飼っているわんちゃんだと、においまで愛おしいものですね。

 

 

 

 


・「この場所げんていですから!「ここだけでしか売っていませんので!」夕の部のカーテンコールでギリ展グッズを推していらっしゃいました。

 

グッズを販売するという事は大勢の人が関わる一大事業なのです。昼の部も宣伝すれば良かったですね。

 

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お話の森2019年8月4日 6/7 終わりのお話

「僕は時々こんなことを思うんです。

終わりっていつが終わりなんだろうって。

 


僕が舞台からさよならーって出て行ったら終わりなんでしょうか?

舞台が明るくなったら終わりでしょうか?

それともお客さんがみんな出て行ったら終わり?

皆さんがおうちに着いたら終わりなんでしょうか?」

 


大人になって思い出して、子どもが生まれて、そのまた子どもにも。こんな絵本があるんだよと。

今日のことがみんなの記憶にある限り、お話の森はいつまでもそこにあるのではないでしょうか。

 


「終わりといえば…?

 

終わりといえばこの曲です!今日音楽を担当してくれた馬喰町バンドで、『終わる瞬間』!」

 

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