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【ピーター・ドイグ展 解説テープ起こし】2020年02月25日内覧会 国立近代美術館地下一階講堂にて(後半)(前半は記載しておりません)

1993年にEU発足するなど東西冷戦の形が崩れて、第三世界の区分も無くなって、世界が多極化していく時代。いわゆる多文化主義的な時代が幕開けしていく時代にですね、文化的にもですね、そうした兆候というのは同時並行的で見ることができるのです。

ドイグさんの作品というものも非常に極めて、色んな、えー、ざっくり言ってしまうと多文化的な要素が見て取ることが出来ます。

例えば西洋美術史の豊富な参照源に裏打ちされているのですけれども外部との接点を同時に持っています。

例えばカナダという美術史的にはかなり周辺的に位置付けられている近代美術の一部やその土地の風景というものからインスピレーションを受けて作品を作っていたりですね、或いは、モダンアートの中において決して主題になることの無かったようなカリブ海の風景だとか、あるいはその歴史といったものを解いてあげたりとか。更にはそうしたものを古今東西縦横無尽に結び付けて一つのイメージを作り上げる。こうしたことが彼の作品の大きな特徴の一つを形成しているわけす。

 

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左が2004年のドイグさんの作品です。真ん中がジェームス・ウィルソン・モリスというカナダの近代画家の作家の作品です。この人結構面白いんですけどどういう作家かと言いますとこの作家はドイグさんと同じでカリブ海のいくつかの島々を巡って当時この絵を描いているんですね。・・・・・・・。或いは左のドイグさんの作品にあるような色面が・・・を介して色面が歓迎されていくというのが19世紀後半の・・・派の作家に見られるということで、様々なこうした美術史的な知識というものを踏まえつつ新しい要素へと刷新しています。ちなみに左の赤い方の絵はインドの絵葉書にインスピレーションを受けているらしいんですね。・・・・・・・。この絵の背後に、展示中に見つけたのですが、シルバービートルズが描かれています。何故描いたかを尋ねたところ、インドの絵で見に来た人たちがマッシュルームカットのようなボブカットで、それがビートルズみたいに見えるから、ということなんですが、自分の愛称としてシルバービートルズと名付けているだけなんだとか。今スライドだと全然見えないんですが空の場面がシルバーで描かれています。・・・・・・。よくドイグは音楽との接点が実はあります。

 


このように様々な条件が重なり絵画史なり絵画市場の転換や多様化する芸術表現の時代の中で敢えて彼が描くカウンター的な在り方、そして多文化主義的な時代における芸術表現の在り方というものを現在の作品に対する、ドイグ作品に対する今日的な評価というものを前提としてあるのだろうと思います。ただし勿論作品そのものが魅力的であるということが大前提としてあるわけです。

 


というわけで彼の作品の魅力というものを、ごめんなさい時間が少なくて申し訳ないんですけど短く、なるべく短く、ご紹介していきたいと思います。

 

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まずはこの絵の具の質感。・・・を駆使した豊かな表現、というところです。それでちょっと一つだけあげたいのはですね、これですね、この作品、えー。チラシのおもて面に使わせて頂いたんですけれど、シカゴ美術館の所蔵の「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」という作品です。

この作品図版ではなかなか、スライドでも当然わからないですけれども、実物の前に立つと下段ですね、この下段の、絵の具の質感がですね、なんでしょうね。砂糖が結晶化したような或いは霜が降りたように不思議な・・・半透明の、なんていうんでしょうか、層を感じさせるんですね。それがあるからこそ上部と中断部がものすごく遠くのように感じられます。つまり視覚的なパースペクティブのみならず、絵の具の物質的な適度な調整によってですね、えー、によってでも、遠近感が大きく広がるのです。この絵の前に立って物理的に知覚しない事には私たちには認識できない代物なんですね。でもこの質感の全然違うものをこの上下三分割した構造の中の一角に占めてしまうとこの絵画の全体が破綻してしまう恐れがあると思うんですけど、ただ上段と下段の色をしっかりと合わせることによってこの全然違う質感のものが破綻なく一枚に合わす。という風にこの非常に物質的な要素を巧みに使いながら絵を描く、ということが彼の非常に面白いところ。

なので是非ですね、一個一個の作品、或いは細部と細部、或いは細部と全体との関係性をこう、仔細に辿っていくとですね、また見え方がどんどん変わっていく。というのが彼の作品の持っている大きな大きな特徴である。

 

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もう一つご紹介したいのがこの作品ですね。

これはこの、画面の中央に薄く溶いた水色の絵の具が流れているんですね。これは本当に絵の具が流れているだけなんですけれども、ヤシの木の間から流れているのがあたかも滝のように見えます。朱に反映された暗色系の色味にしてここだけ赤色なのでまるで光がここからバーっと流れ出しているかのようにも、見えるわけです。

で、この作品はトリニダードで彼が経験したある出来事に由来して絵を描いているのですけれども、でも自分の経験だけではなく、自分の経験だけでこれを作っているわけではありません。ここの人物の造詣はインドの古い絵葉書に用いられていて、画面の構造そのものは・・・リチャードシュフなどの論考の中に指摘があるんですけれどアンリ・マティスの作品の作品構図そのままを思わせるような分離になっています。

ここでも様々な参照源によって一つのイメージが組み合わされている。がゆえに私たちはこの中から色んな、こう、自分たちの記憶の引き出しが刺激されてですね、様々な、それぞれの自分の記憶を引き出す、えー、・・・イメージを思わず引き出してしまう。ここも彼の作品の面白いところです。

 

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それから絵画表現の豊かさ、というところも指摘したいところですね。例えばこれは卓球をしているおじさんなんですけど、というか他もおじさんの絵ばっかりなんですけど、えーとこの背後に描かれているのはビールケースが積み上がっている、えー、厚みがあるんですけどそれが抽象的な形に還元されていて極めて平面的な要素というものを強めています。しかし絵画の平面的な要素がここにあるからこそ、その背後の空間ですね、が、そのまま強調されていますし、この水平線、白い卓球台の水平線の、右側に人物がいるんですけど右側(ママ)に人物がいない。で、このことによって左側の空間を存在、というものを想起させる。

つまり彼の絵画というのは描かれている画角以上の空間というものがこの、横だったり背後だったりあるかのように想像させられる絵画の作り方をしていて、それがゆえに、描かれている空間以上に広さ、豊かさ、奥深さ、というものを感じさせてくれるような性質を持っています。

ここの微妙に白い水平線が白い卓球台を強調していますけれどこうした水平線が初期から最新作までずっと繰り返し描かれていますけれど、この水平線が絵画を分断しているのでその左の先だったり右側の先だったりいつまでもその水平線が続いていくように水平線によって強調されていると思います。

 

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それから同じモチーフが反復される。

これも非常に重要な事だと思います。カヌーというモチーフが・・・初期から重要なモチーフだったんですけど、これがまあ、繰り返し描かれることによって微妙に変わっていく。その事によってあたかも物語が展開しているように見とる事もできる。私たちの想像力というものはこうした色んな絵画の彼の作品群の結びつきを感じることによって一枚の絵を、私たちの想像力は一枚の絵を、飛び越えて複数の絵とのつながりの中でその関係性を見出していく、という風に思いを誂えてしまうわけです。そうした形で彼が・・・についてさらに物語というものが幅広く頒布されるというようなことが彼の作品の特徴の一つになっています。

というわけでこうした彼の作品というものは実際に描かれた空間の広さだけではなく描かれていない領域にも繋がりうる可能性というのを示唆しているために見た目以上に広く感じられるのではないか。ゆえに彼の絵画を見るには非常に、非常に時間がかかるというわけです。

 


最後。駆け足で申し訳ありませんけれど、感覚を描く、というのです。

しばしば彼の作品は、誰もが見たことがあるような懐かしさを感喚させるにも関わらず誰もみたことが無い風景が描かれている、という風に言われることがあります。彼の作品は確かにエドワルド・ムンクだったりとかファン・ゴッホだったりとかポール・ゴーギャンだったりとか或いはゴヤといった美術史の豊富な参照源がそこに含まれている。或いは「13日の金曜日」のワンシーン。先ほどのカンヌの絵画は「13日の金曜日」のあるシーンから捉えているなどといった大衆的な映画の既存のイメージを手掛かりにして描いていると言われています。

このため誰もが自分の記憶と関わるイメージであるかのようにそれを眺めてしまう。なんかこれどこかで眺めたことがある。と誰もが感じてしまうようなそうした不思議な魅力を持っているわけです。然し乍らそれ以上にですね、彼の作品というものは私たちの知覚、或いは何か見たり感じたりするときの感覚そのものというものを描いているからこそ誰もが共感を抱いてそして、自分ごとのように見えてしまうのでは無いかと思います。彼自身もこのようにいっています。

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ということで色々と長くなってしまうので端折りますが、大事なことは感覚を増幅させるために非常に色彩をデフォルメして例えば雪というのは白でなければならないけれどもピンクであるとか、或いはビビッドなオレンジとか。そうすることによって見る人とか、或いは作家とかが感覚というものを増幅させる。感覚を増幅させるために絵画的な技法というものを駆使する、というようなことをいっています。

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こうした先ほどいま申し上げたように突き抜けた、ピンクのように見える雪、或いはコンクリート・・・この絵画における、木の間から建物が覗くときのふとした瞬間の遠近感の消滅した感覚、或いはこういうですね、

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これはトリニダードドバゴの市中にあるある監獄を描いたものなんですけど大きな建物の間の小道がふっと見える。そのときのせり上がった小道の感じが見える瞬間の感覚。

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これわたしの経験で恐縮なんですけど左側はドイグさんの作品で右側はわたしが昨年福島の五色沼に行ったとき撮った写真で、この作品(ママ)を見たときドイグさんの作品に似てるな、と思ったんですね。似てるな、と思ったのは単に色彩が似ている、構図が似ているということではなくて、五色沼、人が誰もいなくて風がフーッと吹き去る時のえも言われぬ美しさとちょっと怖い不穏な雰囲気なんです。この感情、この息をのむほど美しい風景ながらもどこか不安にもさせるこの感覚このそのものがドイグさんの持っている作品の技術性質と非常に似ているなと思ったんですけどこんな風に私の記憶とドイグさんの記憶を結びつけてしまう。それは彼の作品が単に具体的な場所だったりとか自分のパーソナルな経験を描いているわけではなくて、むしろ誰もがそうした光景に出会ったときの感覚、というものを描いているからこそ、その光景を本当に知らない人にも繋がる、ていう、そういうことでは無いのかと思っております。

 


早口でまくし立ててしまって恐縮なんですけども、本展は大まかに三章で構成されており、第一章は森も奥へと申しましてカナダの風景が描かれています。これはドイグさんがロンドンに居た時に取り組んでいた一連の作品群です。

第二章は2002年以降トリニダードトバゴに自身の制作の拠点を移します。それに基づいてですね、海辺の風景が増えてきたんですね、或いは海を思わせる光景。そうした2002年以降現在にかけて描かれた作品群というのをご紹介いたします。

第三章はトリニダードに移住してですね、映画の上映会のサークルを結成するのですけれども、そこで描かれたポスターをご紹介します。

展覧会は油彩画が32点でドローイングが40点、の計72点で構成されております。少数ながらも初期から最新作が一堂に揃うまたと無い機会だと思います。32点と聞きますと少ないと感じられるかもしれません。ちなみにもうご覧になった方はそのような印象は抱かなかったのでは無いかなぁと思うんですけれども、戯れに、非常に戯れにこの32点の作品の総面積を算出いたしました。168万2791平方センチメートルです。これは例えば岸田劉生の面積で割ると、岸田劉生の972万点になるんです。(会場笑い)

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これ多すぎて想像もつかないと思うんで、わけもわからないと思うのでもうちょっと大きな作品にしますと萬鉄五郎「裸体美人」。

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これそこそこ大きいです、高さ162センチ横97センチです。これでも約107点分です。ですから32点と申しましても萬鉄五郎「裸体美人」107点分並んでいる展覧会を想像していただければこれはとんでもなく見所のある展示なんだろうなということを想像していただけるのでは無いかなぁと思うわけです。

もちろん面積というものだけではなくて今回厳選して自信を持って初期から最新作まで本当に代表作しか来ていないという状況でございますので非常に見応えがある展示になっていると思います。

 


えー、最後に主催者がこのように申し上げるのも面映ゆい限りなんですけれども、皆さんにですね、なかなか貴重な展覧会をご提供できたのでは無いかと思っておりますので多くの人に本当に見てもらいたいと思っています。多くの人に見てもらうということはですね、私どもの美術館に限らず、日本の美術館全体に今後の活動からも大変重要だと考えております。つまり今後も継続的に大きなご協力が・・展覧会が開催できるようになるためにはこのような展覧会に人々の注目が集まってですね、実際に結果が現れるということが重要なわけでございます。そのためにもここにお集まりの皆さんのご協力がもう欠かせません。ですからどうかどうか何卒お力添えをよろしくお願いいたします。駆け足で恐縮ではありますけれどもわたしからは以上となります。