塩田千春 ふるえる魂
雑草を引き抜くときに感じた恐怖と手の感触
塩田千春が初めて感じた死の感触である。
この解説文を森美術館で読み、わたしは激しく頷いた。
汚い話で恐縮だが、家で見つけたらゴキブリもクモも見逃す。木の枝を落としてくれと家の者に頼まれたらとりあえずご先祖と近所の観音様に手を合わせてからでないと切れない。雑草に在る魂とわたしの魂と何が違うと言うのか。
何となく作者と意気投合した気がして揚々と歩を進める。
チャイニーズを話すティーンエイジャーがカメラ片手に、カッコいい絵の前でカッコよく友達を撮ろうとポージングに懸命に工夫を凝らして指示しており作品を全く見ていない。
こういう子たちとも根っこは繋がっているのだなぁ。
わたしは縄文人のDNAを持つ。遺伝子検査でも歯医者の解説でもそう説かれたから間違いない。
しかも中国南部を通って上陸したほうの縄文人だ。
だからこの子たちは遠い親戚なのだ。
その、DNAという「精密なシステムで繋がっている」ことをまざまざと見せつけるのが彼女の糸を使ったインスタレーションだった。
嫌なもの、良いもの、実用的、気味わるい、美しい、決め付けるのは見る者だ。見る者の心が反映されるだけで、塩田千春は「こういう風に見てくださいよ」というメッセージを強くは発信していない(様に見える)。
彼女は自分をよく知っていて、学生時代描いた秀逸な油絵をほんの一点ここに展示しただけで油絵を描くこと自体をやめてしまう。以来、ドングリや裸体の自分自身を使うことからインスタレーションを始める。
この先は、わたしの解釈だ。独断と偏見と言ってもいい。こんなものは読まずに実物を見たほうがいい。これから見る方は読まずに足を運ぶのをお勧めする。
彼女が多用する赤や黒の糸は、何の象徴だろうか。
切っても切れないもの
結ぶもの
撚るもの
つなぐもの
血管や血の繋がりやしがらみと言った生を紡ぐものや、死神の手から発せられる蜘蛛の糸のような腐りゆくもの、延いては時間のようにも思われる。
昼間の時間に行ったら2分と待たずに入場できたのに、2時間後退場したらぐるぐる渦巻のとんでもない行列が出来上がっており気の毒だった。
記録的な人気だと聞いた。
一部除き撮影可能という大盤振る舞いなのでお気に入りの一枚を収めつつ塩田千春の世界に浸ってはいかがか。