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ダリとエッシャー 接点のない2人の画家の残したもの − 横浜美術館を訪ねて


ダリはつくづく残念な人である。

 


幼くして亡くなった兄の生まれ変わりだと親に諭されて(なにごと…)その兄の名前「サルバドール」をそのまんま引き継いダリ、厳格過ぎる父に梅毒の写真を見せられまくって洗脳させられたり、あのとんでもヒゲとか潜水服など変な格好で大事な場に登場して異端だと非難され破門までされた挙句元の仲間には金の亡者と揶揄されたり(実際儲かったんだけど)、不倫の末に略奪した妻には若い燕が出来てそれでも貢ぎに貢いダリ。

 


そりゃないぜ、ダリィなぁ〜と時計も歪んで溶けてしまうわけ。

 


ただ、作品から伝わってくるのは何か滑稽さとか非論理的な面白みで、悲壮感は無い。本人がご自分自身を可哀想と思っていたかどうかは「?」。

 


悪夢のようなインパクトと、やたらと写実的な表現法は実は浮気者であり妻であるガラによる後押しとセールスの賜物なのだそうだ。

あのへんちくりんのぐにゃんぐにゃんはガラがイチオシして売り込んだからのちの彼の画風「偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)」となった。ダリは販促下手なクリエイターだったから、ガラが居なければただの絵の好きな変人で世の中から見放されていたかも。

 


なので、ガラはダリにとって女神である。ダリはガラにベタ惚れだったから精神的にすってんてんになってもガラが亡くなってもガラ命!だった。若くして亡くなったお母様も影響していそうだが。

 


ダリが自分たち夫妻のためにデザインしたプボル城ごと、奥様と彼女の不倫相手の愛の巣になってしまった時点でさすがに目を醒まして欲しかったが、そんな悪夢が彼に絵を描かせたのかもしれず。

2人のガラが1枚の絵に登場する「タトゥアンの大会戦」。

夢は無意識の願望の表れだという。

上方のガラに剣を振り下ろさんとする英雄、下方のガラはダリと手を取り合って希望の未来に明るい眼差しを向けている。

殺したいほど愛するとはこういうことなのだろうか。

 


さて、そんな解説を「美の巨人たち」で聴いてしまってから見る横浜美術館のダリはしかし相変わらず素っ頓狂で非現実でつやつやぷるぷる脚長族であった。

 

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ねじくれた像「ニュートンを讃えて」は彼が描いた絵とは異なり重力に全く素直だし、三連作絵画「幻想的風景―暁、英雄的昼、夕暮」は、やっぱり物理の法則に反していて、スケスケ人間は触って確かめられそうなほどリアルに浮き出ている。

 

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こういうのは現実と真正面から向かい合って基本の技術に忠実に作業しないと仕上がらないのではないか。

 


一見するとヘンテコ極まりないなのに分かるような「気がしてしまう」。分かりかけると逃げていく。永遠の追いかけっこで自分の物にならないのに不思議と面白くて惹かれ続けてしまう。

ダリの絵は最愛のガラのように掴みかけると遠くへ行ってしまう魔性をはらんでいる。

 


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エッシャーは試験の成績が良くないせいで父の勧めた建築家になれなかったが版画に没頭した人。

 


という逸話が「日曜美術館」で。

えっ?本当に成績悪かったの?

疑ってしまうような計算づくで作品を作る人である。

 


計算づくとは文字通りで、遺したノートには計算式が見つかっている。

数学的頭脳と観察力と或る恩師がエッシャーを作り出した。同時期の美術界の誰とも接点のない、独自オブ独自の絵描きだ。

 

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その原風景は切り立った崖と建物。

若い頃アマルフィ海岸へ旅して建物スゲーと夢中でスケッチ。あまりにステキなのでローマに引っ越しまでして十年かけてイタリアを旅して絵を描く。

それはエッシャーエッシャーになるための準備期間だったのだろう。

 

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明治大学特任教授杉原厚吉氏は数学的にエッシャーを解析している。

エッシャーは数学と目の錯覚を使っているとおっしゃる。

三本の曲がった棒はある視点から見るとつながって見える。これを「ペンローズの三角形」という。

エッシャーの作品「滝」では柱が垂直でペンローズの三角形が2つ使われている。

 


「上昇と下降」

 


延々と続く階段。上がっているといつの間にか降りていて、降りているうちにのぼっている絵。

時計回りだと下がり続け反時計回りだと上がり続けるように見えるが、これを杉原教授が立体化して作って見せると実は2本の並行する坂道の四角い下り階段。

 


エッシャーの絵は方程式で導けるそうだ。

 


エッシャーは計算式をノートに残していると前述したが、絵を描くのに数学を用いるとは…やはりたくさん勉強したのではないだろうか。建築士不合格は運命のいたずらか?または、数学の天才?

 


「昼と夜」

 

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白鳥は昼を表している。夜は黒い鳥が浮かび上がる。やがて白の鳥と黒の鳥はオランダの田園地帯に溶け込んでしまう。

 


漫画家荒木飛呂彦氏が好きな「鳥と魚」は「正則分割」という技法を応用しており、アルハンブラ宮殿内の文様を丸3日かけて模写した結果生まれた。

荒木氏はそれを自らの作品「ジョジョの奇妙な冒険」4部のスタンド・エニグマの能力の表現に取り入れている。(素晴らしいのでエッシャーがお好きなら是非検索してでもご覧いただきたい)

 


「しっかりと認知できる世界を再現すべきです。」

エッシャーは著書「無限を求めてエッシャー」の中で自らの表現方法について記している。

方程式という枠の中で自由に表現しているのか、表現の中で制限を自在に扱っているのか、それこそ「上昇と下降」の世界観のように白黒はいつのまにかひっくり返ってしまう。

 


「メタモルフォーゼII」

 


変身という文字に始まり動物やチェスなどのモチーフを経て左から右へと変身の文字に戻る。

 


このような絵から荒木氏は、連続するパターンと不可能な立体に無限を感じるし、「カストロヴァルヴァアブルッツィ地方」には構図の無限を感じると、コメントしている。

 


エッシャーは交流関係が独特である。

科学者との交流を深めた人だ。

それは独自の道を歩み始めるきっかけとなる。

エッシャーの兄が結晶学を学んでいるが、結晶学は同じ構図の繰り返しなのだ。

 


エッシャーの絵は医者、科学者が認めたことにより広まった。

美術の世界の中でも20世紀のダイナミズム、ダリなどのシュルレアリスムとは接点がなかった。

 


「ベルヴェデーレ(物見の塔)」

 


はしごの周りの柱の前後がねじれている。背景は彼が若き頃愛したイタリアの山やま。だがどことなくユーモラスかつ不気味な印象が拭えない。

特に戦後の作品にはなんとも言えない不気味さが漂う。

「上昇と下降」でも無限の階段を上り下りする人の表情はなく、その世界に背を向ける人、じっと見つめる人。

何か心にひっかかるものがある。それは何か?

 


その秘密を紐解くある人物がメスキータ。

エッシャーの恩師で版画家だ。

サミュエル・イェシュルン・デ・メスキータ。

東京ステーションギャラリーにて6月29日からメスキータ展が開催される。必見だ。

率直で頑固でオリジナリティを追求し、人の意見に左右されない人だった。

「ヤープイェスルン、デメスキータの肖像」

や「ワシミミズク」からエッシャーの初期の版画「兎」に与えた影響がうかがえる。

 


たとえば線の使い方。

線の太さと本数で陰影を表している。

「アトラニの階段」にも影響が見られる。

 


メスキータ「幻想的なイマジネーション・さまざまな人物」や、「ファンタジー」の中に変な表情、奇妙なものが描きこまれている。

 

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師匠と弟子という関係において彼らは相思相愛だった。エッシャーが学校を卒業した後も交流があった。師匠はアトリエに愛弟子の作品をピンで留めていたほどだ。

 


ところが彼らはユダヤ人迫害によって運命を引き離されてしまう。メスキータはユダヤ人だったため、アウシュビッツで家族もろとも殺される。

 


荒らされた亡きメスキータのアトリエから作品を隠し守るため動いたのがエッシャー

この頃もしユダヤ人の作品を持っているなどと知られたら大変なことである。それは命がけの行動だったはずだ。

そして晩年にもエッシャーのアトリエにはメスキータの写真が飾られていた。

 


1946年。エッシャー、大戦後の「眼」

瞳孔に写る骸骨。

「泣いても笑っても私たちはみな死と向き合っている」

と、この絵について語っている。

師匠の遺した「メメント・モリ(頭蓋骨と自画像)」を見た上で描いただろうことは明白で、どんな思い入れでこれを描いたか想像に難くない。これらの絵が戦争のない未来を目指す我々に訴えるものは大きい。