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多摩美術大學芸術人類學研究所「渦巻の大宇宙」展

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唐草模様はどこから來たのかDNAは何故螺旋なのか興味があり、多摩美術大學芸術人類學研究所「渦巻の大宇宙」展へ。

 

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人の住まう所に文様あり。

世界中の文様を一堂に會した貴重な展示。

文様は美術であり言語でもある。

 

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ケルティックノットの端と端があるとすれば固く締めると清の袍をとめるボタンになり、ダロウの書の装飾はそのまま縄文の耳飾りだ。

20万年前アフリカで人類の祖が誕生し長い旅を経て世界の隅々まで文様は渦巻く。

これは最早不思議でも何でもなく人類共通語と言えはしないか。

 


大学の至る所にオブジェ。

 

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雨天決行のキックシャトル

 

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敷地内BoulangerieTougakuのレモンクリームパン¥150を買う為だけにまた来たくなる。

 

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石粉粘土で土偶を作る

作品が仕上がってしまうと、嬉しさより寂しさが勝つのは何故だろう。

毎日手を入れて一緒に成長してきた物が「もうこれ以上触れないで」と言ってくる。

 


完成のちょっと前が一番可愛い。

もうちょっと何とかしてもらえないだろうかと必死に作品が訴えている期間がお互いにとって最も緊張感があって最もお互いを必要としている時間だ。

 


完成してしまうとそれは、物理的な意味ではなく心に訴えるという面で、「見てくれる人のもの」になったり、展示すれば「それがどのくらいの集客をもたらすか」という別の価値を担ったり、新たな作品作りのヒントをくれたり創作意欲を掻き立てる存在となっても心理的距離は遠くなる。もはやしてあげられる事は無い。

 


文章を書いていても同じで、推敲の時間が永遠に続けばいいのにと思うし、料理も作るのも、作ること自体が楽しくて味見をしたらもう良いやと思ってしまう。

無論、現実では質より量を優先させたり過程より目的が大事だからそれなりで仕上げる。でも口には出さないがそれなりである事にがっかりしていて、もうちょっと時間と技術があったらなぁという自省の繰り返しだ。

 


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何故、土偶を作ろうと思ったか。

と尋ねられたので、犬を作って余ったのでと答えた。

愛犬が亡くなって途方に暮れる間も無くわたしは初売りで賑わう正月の町へボサボサの髪とすっぴんのまま飛び出し粘土を買った。

 


正月だから焼き場も閉館していてご遺体と過ごせるのは3日間。

我が家で一番寒い場所を探して犬を安置し、外に出るような完全防寒のいでたちでそんな風呂場に入り、スケッチしたり計測したり作った物と見比べたりした。

 


死んだら庭に埋めるのが我が家流で、今回もそうしてしまうならわたしは遣り切れない。だから遺体がある内に記憶に細部がある内に形にして部屋に置いておきたかった、それだけの理由だ。粘土作品はそれまで見るに限ると思っていた。作るなんて考えもしなかった。

 


愛犬のフィギュアは全く納得出来ないものが二体、どうにも終わりにしたくなくてしっぽをつけないまま、残りの粘土で別の物を作り始めた。

 


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仕上がっても寂しくない程度には愛着のない物体をモデルにしようと家の本棚から何冊か図録を取り出し物色していると、着色剤の色数が少なくて済みそうなのがあった。

 


2018年の図録は縄文展である。

 


大体犬を作ることしか想定していなかったから最低限の色数しかアクリル絵の具を用意していなかった。

しかも我が家の愛犬はレッドと呼ばれるいわゆる茶色単色だったので、鼻のピンクと目玉の黒と白を含む6本ほどを、お正月にお店の人に握らされていただけだ。

 


似ている、と思った。

犬よりちょっと濃いけれど、同じ絵の具でいけるだろう。

 


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それからわたしは都内近郊で訪ねられるだけの縄文時代の遺構を訪ねた。

亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶が難しそうだが作り甲斐がありそうだ。

現地に飛んで縄文展以来再度本物を見に言ってしまったほうが移動費用が少なくて済むのではないかと思うくらい、亀ヶ岡遺跡の物ではない縄文の遺物とレプリカを見に、都内中歩いた。

幸いなことに大体の展示は写真撮影を許可され、犬を作るときに苦心したので360度舐めるようにあらゆるら角度から写真を撮らせてもらった。

 


ところがいくら見ても帰って粘土を前にすると分からないことが次々と湧き出る。

 


土偶の色は何故少しずつ違うのか

土偶は服を着ているのか飾りをつけているのか、だとするとそれらは何なのか

・そっくりそのまま真似て良いのか、いけないとするとどんな理由があるのか

・そもそも何のために土偶は作られていたのか

・サイズに共通点はあるのか

・縄目文様の縄はどのように作るのか

 


縄文時代に関する情報を漁る。ネットだけだと心許ないから本を読んで頼れそうな筆者を探してまたその筆者の著書を探して。

 


結論から言うと、正解が無くて謎のままな事柄が多かった。

説はあるが解が無い。

 


土台のスタイロフォームを削るタイミングで遺跡や遺構を訪れており縄文人に畏れ多さを感じ始めていたので、ミステリーな部分については、彼らに対して成し得る配慮をなるべく心掛けることにした。

 


土偶の色が違うのは土地や時代に依るものだった。それを知るまで土偶はみんなベンガラで彩色されていたように誤解していた。

 


・東京都埋蔵文化財センターに展示されたマネキンの、どなたかが考証して作ったらしき服を頼りにすると、土偶は服を着ていると考えた。チャイナ服のボタンの様な物も服と同じ素材で作られていたのではないか。もしかすると翡翠や黒曜石を玉にしてボタンにしたいなどと思いついたかもしれない。また、当時の気候は温暖化したとは言え毛皮も着ていたのだろうから裾がもふもふ広がっていてもおかしくない。明治大学土偶に関しては腕章の様なものは腕まくりで、國學院大学の頭の上の香炉の様なものは髪飾りに見える。空いている部分に紐を掛けて吊るしたかもしれない。

 


・二つとして全く同じデザインの土偶は見つかっていないという文献を見つけた。亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶の有名なのを真似ても、その細部にはオリジナルのデザインが施されても良いのではないか。

 


・目的もサイズも今ひとつはっきりしない。だが女性の手で持ちやすいという指摘もある。妊娠出産の際に握ったなどとの解釈もあるようだが亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶は持ちにくい。

 


土偶に押し付けてある模様は縄文原体と貝殻と竹と細工をした棒などで、さまざまな博物館で見られた。東京都埋蔵文化財センターでは文様付け体験コーナーがあった。

 


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スタイロフォームにデザインを書き写してスチロールカッターで切る。

 

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・ひと回り小さく仕上がるように石粉粘土を盛り、2、3日乾燥させて収縮・乾燥したら鉛筆で細かいデザインを書く。

 

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・縄目文様を付ける部分に石粉粘土を盛り、少し乾いたら縄文原体を押し付ける。


・天然石のビーズをボタンやアクセサリー代わりに埋め込み固定させる。

 

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・遮光器、ウエストより下部の服の模様はどうも左右対称ではなさそうなので、好みのデザインに。

 

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・石にマスキングテープを施しサーフェイサーを吹く。

 

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・ベースカラーを吹く。

 

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・筆の作業。墨入れはベースより濃い色を薄く溶いたアクリルカラーを筆塗りして乾燥前に神で拭う。クリアカラーは明るい色を出っ張った場所に塗る。

 

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・仕上げにツヤなしニスを吹く。


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粘土作品で、ちゃんと仕上げたのはこれが一作目なので愛着がある。

 


もっとこうすれば、ああすれば、は無限に湧き出るけれど、次に生かすことにして六割くらいの納得比率で作業を進めたほうが良いとどなたかブログで仰っていた。その通りにした。なるほど粘土はいくらでも修正出来るが、締め切りがない状況でそう心得てしまうと延々と終わらなくなってしまう。

 


それから、粘土作品を作ろうとした時に「粘土塗り方」「粘土メーカー」などと粘土ベースで検索していもあまり情報に恵まれないが、ある時から「フィギュア」「秋葉原」「プラモ」をベースに検索し始めたところ情報収集が捗ったしその世界の人々に大変救われた。

 


独学で粘土作品を作るのは、この時代なら、茨の道でも無い。大事なことは縄文人が教えてくれる。

 

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・材料

 

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パジコ 石粉粘土ラドールプルミエ(¥418)

パジコ 粘土べら3点セット(¥216)

天然石ビーズ(¥54〜)

パジコ ステンレス細工棒(¥892)

日東 マスキングテープ5ミリ(¥223)

コニシ ウルトラ多用途S•Uプレミアムソフトクリヤー25ミリ(¥648)

ジェッソ500ミリ(¥1,944)

グラッド プレスンシール(3箱¥1,680)

筆(¥302〜)

紐(¥194)

 

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ダリとエッシャー 接点のない2人の画家の残したもの − 横浜美術館を訪ねて


ダリはつくづく残念な人である。

 


幼くして亡くなった兄の生まれ変わりだと親に諭されて(なにごと…)その兄の名前「サルバドール」をそのまんま引き継いダリ、厳格過ぎる父に梅毒の写真を見せられまくって洗脳させられたり、あのとんでもヒゲとか潜水服など変な格好で大事な場に登場して異端だと非難され破門までされた挙句元の仲間には金の亡者と揶揄されたり(実際儲かったんだけど)、不倫の末に略奪した妻には若い燕が出来てそれでも貢ぎに貢いダリ。

 


そりゃないぜ、ダリィなぁ〜と時計も歪んで溶けてしまうわけ。

 


ただ、作品から伝わってくるのは何か滑稽さとか非論理的な面白みで、悲壮感は無い。本人がご自分自身を可哀想と思っていたかどうかは「?」。

 


悪夢のようなインパクトと、やたらと写実的な表現法は実は浮気者であり妻であるガラによる後押しとセールスの賜物なのだそうだ。

あのへんちくりんのぐにゃんぐにゃんはガラがイチオシして売り込んだからのちの彼の画風「偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)」となった。ダリは販促下手なクリエイターだったから、ガラが居なければただの絵の好きな変人で世の中から見放されていたかも。

 


なので、ガラはダリにとって女神である。ダリはガラにベタ惚れだったから精神的にすってんてんになってもガラが亡くなってもガラ命!だった。若くして亡くなったお母様も影響していそうだが。

 


ダリが自分たち夫妻のためにデザインしたプボル城ごと、奥様と彼女の不倫相手の愛の巣になってしまった時点でさすがに目を醒まして欲しかったが、そんな悪夢が彼に絵を描かせたのかもしれず。

2人のガラが1枚の絵に登場する「タトゥアンの大会戦」。

夢は無意識の願望の表れだという。

上方のガラに剣を振り下ろさんとする英雄、下方のガラはダリと手を取り合って希望の未来に明るい眼差しを向けている。

殺したいほど愛するとはこういうことなのだろうか。

 


さて、そんな解説を「美の巨人たち」で聴いてしまってから見る横浜美術館のダリはしかし相変わらず素っ頓狂で非現実でつやつやぷるぷる脚長族であった。

 

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ねじくれた像「ニュートンを讃えて」は彼が描いた絵とは異なり重力に全く素直だし、三連作絵画「幻想的風景―暁、英雄的昼、夕暮」は、やっぱり物理の法則に反していて、スケスケ人間は触って確かめられそうなほどリアルに浮き出ている。

 

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こういうのは現実と真正面から向かい合って基本の技術に忠実に作業しないと仕上がらないのではないか。

 


一見するとヘンテコ極まりないなのに分かるような「気がしてしまう」。分かりかけると逃げていく。永遠の追いかけっこで自分の物にならないのに不思議と面白くて惹かれ続けてしまう。

ダリの絵は最愛のガラのように掴みかけると遠くへ行ってしまう魔性をはらんでいる。

 


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エッシャーは試験の成績が良くないせいで父の勧めた建築家になれなかったが版画に没頭した人。

 


という逸話が「日曜美術館」で。

えっ?本当に成績悪かったの?

疑ってしまうような計算づくで作品を作る人である。

 


計算づくとは文字通りで、遺したノートには計算式が見つかっている。

数学的頭脳と観察力と或る恩師がエッシャーを作り出した。同時期の美術界の誰とも接点のない、独自オブ独自の絵描きだ。

 

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その原風景は切り立った崖と建物。

若い頃アマルフィ海岸へ旅して建物スゲーと夢中でスケッチ。あまりにステキなのでローマに引っ越しまでして十年かけてイタリアを旅して絵を描く。

それはエッシャーエッシャーになるための準備期間だったのだろう。

 

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明治大学特任教授杉原厚吉氏は数学的にエッシャーを解析している。

エッシャーは数学と目の錯覚を使っているとおっしゃる。

三本の曲がった棒はある視点から見るとつながって見える。これを「ペンローズの三角形」という。

エッシャーの作品「滝」では柱が垂直でペンローズの三角形が2つ使われている。

 


「上昇と下降」

 


延々と続く階段。上がっているといつの間にか降りていて、降りているうちにのぼっている絵。

時計回りだと下がり続け反時計回りだと上がり続けるように見えるが、これを杉原教授が立体化して作って見せると実は2本の並行する坂道の四角い下り階段。

 


エッシャーの絵は方程式で導けるそうだ。

 


エッシャーは計算式をノートに残していると前述したが、絵を描くのに数学を用いるとは…やはりたくさん勉強したのではないだろうか。建築士不合格は運命のいたずらか?または、数学の天才?

 


「昼と夜」

 

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白鳥は昼を表している。夜は黒い鳥が浮かび上がる。やがて白の鳥と黒の鳥はオランダの田園地帯に溶け込んでしまう。

 


漫画家荒木飛呂彦氏が好きな「鳥と魚」は「正則分割」という技法を応用しており、アルハンブラ宮殿内の文様を丸3日かけて模写した結果生まれた。

荒木氏はそれを自らの作品「ジョジョの奇妙な冒険」4部のスタンド・エニグマの能力の表現に取り入れている。(素晴らしいのでエッシャーがお好きなら是非検索してでもご覧いただきたい)

 


「しっかりと認知できる世界を再現すべきです。」

エッシャーは著書「無限を求めてエッシャー」の中で自らの表現方法について記している。

方程式という枠の中で自由に表現しているのか、表現の中で制限を自在に扱っているのか、それこそ「上昇と下降」の世界観のように白黒はいつのまにかひっくり返ってしまう。

 


「メタモルフォーゼII」

 


変身という文字に始まり動物やチェスなどのモチーフを経て左から右へと変身の文字に戻る。

 


このような絵から荒木氏は、連続するパターンと不可能な立体に無限を感じるし、「カストロヴァルヴァアブルッツィ地方」には構図の無限を感じると、コメントしている。

 


エッシャーは交流関係が独特である。

科学者との交流を深めた人だ。

それは独自の道を歩み始めるきっかけとなる。

エッシャーの兄が結晶学を学んでいるが、結晶学は同じ構図の繰り返しなのだ。

 


エッシャーの絵は医者、科学者が認めたことにより広まった。

美術の世界の中でも20世紀のダイナミズム、ダリなどのシュルレアリスムとは接点がなかった。

 


「ベルヴェデーレ(物見の塔)」

 


はしごの周りの柱の前後がねじれている。背景は彼が若き頃愛したイタリアの山やま。だがどことなくユーモラスかつ不気味な印象が拭えない。

特に戦後の作品にはなんとも言えない不気味さが漂う。

「上昇と下降」でも無限の階段を上り下りする人の表情はなく、その世界に背を向ける人、じっと見つめる人。

何か心にひっかかるものがある。それは何か?

 


その秘密を紐解くある人物がメスキータ。

エッシャーの恩師で版画家だ。

サミュエル・イェシュルン・デ・メスキータ。

東京ステーションギャラリーにて6月29日からメスキータ展が開催される。必見だ。

率直で頑固でオリジナリティを追求し、人の意見に左右されない人だった。

「ヤープイェスルン、デメスキータの肖像」

や「ワシミミズク」からエッシャーの初期の版画「兎」に与えた影響がうかがえる。

 


たとえば線の使い方。

線の太さと本数で陰影を表している。

「アトラニの階段」にも影響が見られる。

 


メスキータ「幻想的なイマジネーション・さまざまな人物」や、「ファンタジー」の中に変な表情、奇妙なものが描きこまれている。

 

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師匠と弟子という関係において彼らは相思相愛だった。エッシャーが学校を卒業した後も交流があった。師匠はアトリエに愛弟子の作品をピンで留めていたほどだ。

 


ところが彼らはユダヤ人迫害によって運命を引き離されてしまう。メスキータはユダヤ人だったため、アウシュビッツで家族もろとも殺される。

 


荒らされた亡きメスキータのアトリエから作品を隠し守るため動いたのがエッシャー

この頃もしユダヤ人の作品を持っているなどと知られたら大変なことである。それは命がけの行動だったはずだ。

そして晩年にもエッシャーのアトリエにはメスキータの写真が飾られていた。

 


1946年。エッシャー、大戦後の「眼」

瞳孔に写る骸骨。

「泣いても笑っても私たちはみな死と向き合っている」

と、この絵について語っている。

師匠の遺した「メメント・モリ(頭蓋骨と自画像)」を見た上で描いただろうことは明白で、どんな思い入れでこれを描いたか想像に難くない。これらの絵が戦争のない未来を目指す我々に訴えるものは大きい。

國學院大學博物館へ

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無機的で簡素な校舎群がそびえる敷地内に流れる川、そのほとりに和歌の立て札がぽつりぽつり。塵ひとつ落ちていない。

学生はシンプルなカジュアルウェアに身を包み整然とベンチに座り談笑している。國の學び舎というだけあってエネルギーの注ぎ先が志ひとすじであるようだ。

 


大学と言えば我が母校は年齢も服装も民族も色々で、メッセージ色の強い看板が古めかしい建物に立てかけられ、何処ぞからか発声練習やらアフリカの楽器の音やらシュプレヒコールやら聴こえてきたものだ。そういったものは此処にはない。

 


・常設展

 


常設展は三つのエリアに分かれており考古と神道と学校の歴史である。特に考古の物量は無料にしてはお得過ぎるほど多い。他に特別展が開催されていたので、たっぷり時間を費やした。

 

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縄文時代の出土品の復元されていないものは煉瓦のカケラか壊れた植木鉢かと見紛う代物だが、縄目文様に規則があることを知っていればその分類や作成時期が分かる。縄目模様を付けるための道具を縄文原体と呼ぶが、此処にはあらゆる縄文原体が揃っていて自由に引き出しを開けて良いことになっている。前後に6段ずつ9種類もあって夢中で開けたり閉めたりしていると人の気配を感じて、ん?と顔を上げたらその頃の生活を再現させた男女のマネキンが、「なにしとんねん?」よく尖った石槍を片手に。

 

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おびただしい数の貴重な資料を元に書いたのがこちらです、という國學院大學の先生の論文もいっしょに展示されているのだが、他の品々と同じくガラスケースの中にあって中を読むことはできない。詳しく知りたいなら本を買って読みなさい、あわよくば入学しなさい、ということか。小さなミュージアムショップが併設されている。洒落たグッズと並んで案の定、本棚が充実している。

 

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弥生時代の装飾品はオシャレ命としか思えないほど煌びやかだ。お洒落のためでなかったとしたらお守りか。

特定の土地でしか採取出来ないゆえに交易の様な仕組みが出来たとしてもおかしくない。だが、新幹線も自動車もない当時、糸魚川周辺の翡翠にしても北海道産黒曜石にしても遠方に運ぶ手段は何だったのだろうか。

物の本によると物の行き交いを専門とする業者がいたのではないかという説があるそうだ。物と一緒に言葉も行き交っただろう。途中で失くしたりすり替えたりしない信頼度の高い業者がいた。土地の個性は役割=仕事を作り共通語を作ったに違いない。

その先、商人は近江商人などと、土地に腰を据えて物を売る職業となったが、商売の初めは移住者か旅人だったのではないか。或いはこれは商売ではなくムラ付き合いの一環を出なかったりして。

 


さて、稲を含む農耕は縄文時代にもあったとする説とそうでない説がある。

わたしはてっきり稲作とは弥生時代の代名詞と勘違いしていた。

米を炊くための土器は薄くて装飾性に乏しい。稲作を始めるかどうかでムラが揉めたりしたのだろう。

炭水化物ダイエットが体調に合う人や、焼肉や居酒屋で主食を食さず延々と肉やおつまみばかり食べる人は、稲作文化の導入に「no」を突き付けた生粋の縄文人遺伝子を持っているのだろうか。

 

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飛鳥時代には一方、埋葬文化が充実する。派手で装飾的で興味深い。死後の世界が不自由なく楽しいものになるような工夫がされていると見える。この調子だと生前もかなりゆとりがある。ただし一部の身分の者に限って。墓の巨大化は格差社会の表れだ。

他方、器たちは弥生を経て実用一辺倒になった様に見える。縄文でも実用品だったのだろうが、シンプルさ使いやすさは弥生を経て古墳以降が遥かに上だ。より合理的なデザインに変わったと言うべきか。単なる流行の廃れとは形容しがたい徹底的な装飾性の排除。凝ったデザインの土器を作る余裕がなくなるほど頻繁に争いが起きたか、土地を追われたか…。

 

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だとすると逆説的に縄文土器は、定住した土地にそれが存在した証を残すための規則的な文様だったのだろうか?

わたしは貝塚や環状列石は神さまにモノをお返しする儀式的なスペースだと勝手に思っている。

亡くなった人や使った土器や道具や食べ殻は、壊れたり用をなさなくなったり命を失った後には、元々所属するその土地の神さまにお返ししましょうと。するとなにがしかの形で再生する、と。

そう考えると、縄文土器の文様が地域性に富むことや弥生時代に消滅し始めたことに説明が付く。

文様が神さまとのコミュニケーションツールだったのではないかとわたしは考える。

たとえば海が近いAの土地に住む人はその土地の神さまは波のような形を好む神さまなので、土器を神さまにお返しするときに神さまに受け入れてもらいやすいようA人は土器に波型文様を施し土を掘って納め続けてきた。Bの土地は山地なので波型ではなく山型の文様の土器となった。稲作を始めようとしたAの人はAでは田んぼができない土地だと分かりBに引っ越した。そこには海がない上、土地争いに負けたBの痕跡を消すべく、ABどちらの文様をも作る必要は無くなり文様は失われ、新たに稲作の神さまを崇めるようになった。そうこうしているうちにCから田畑をよこせと争いを仕掛けられて追い出され、もう土地アイデンティティの文様なんか付けている暇はない。とにかく明日煮炊きできる分の器を作れ、早く乾燥させたいから薄く作れ、とシンプル化した、とか。

 


真偽のほどは全くのミステリーで、わたしの想像の範囲を超えないし解明されることを希望もしない。謎は謎だから面白い。物を見ることは想像力を刺激することだ。歴史を知ることは未来を想像することだ。

残された物の変化をこうして時代ごとに見比べると、何が獲れる(採れる)土地か、が価値を作り交易を生み豊かさを左右し、食の変化が土地を分割せしめ、社会に格差を作らせ争いに至らせたのだと想像できる。土地の特徴が社会を作るのだ。

 


・特別展和歌万華鏡

 

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書を見る時には、内容や読める読めないに拘わらず字の風情に共感するかどうかで見る。それから内容や背景を知る。

拾遺和歌集の恋の歌は字もやっぱり恋愛感情に揺れている様だった。

令和の出展「万葉集」には一角一角に祈りが込められている。歌集とは対照的で、或る意味の「単位」であった。

万葉集」は、ひとりに伝わればよいという刹那的な字は無く後世どんなに流行りやノリで言葉の意味が変化しても、その言葉に込められた意味を何が何でも残そうという芯の強さが感じられた。元号が令和と決められたが、機能としての文字だけではなく言霊とはそういう事なのだなぁと実感する。常設展と連続して拝観したせいか、縄文土器の文様がやはり文字のような役割があると思えてしまう。

 


そもそも「和」とは何か。

たとえば「和をもって貴しとせよ」は「仲良きことは美しきかな」ではない。納得いくまで議論し尽くしなさいという意味で、「さからうことなきをむねとなす」という続きが存在する。

「惡」とは大昔を辿れば、ときの権力に「逆らう」ことであった。権力社会において「和」の反対語は「惡」と言えよう。

「和」はAとBの距離が縮まり合わさることで、「惡」はAとBの距離が伸びて相容れないことだ。

これらの言葉の前提として必ずAとBという対立構造がある。

「和む」前にも「和解」する前にも必ず穏やかならざる状況が存在しているべきで、それを対立と言わずして何と称するだろうか。

 


大小、生死、勝敗、苦楽、愛憎、万物は二つの対極する概念から成り、混ざり合うバランスで世界が成り立っている。

 


これが少なくとも万葉集が編纂された頃から後世に伝えたかった「和」という文字に込められた祈りだろう。

 

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「コドモエ」連載 【片桐仁のwebでねんど道 #1】に学んで作ってみました

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ストラップホール付き

iPhone X


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軽量粘土ハーティ

色が付いている


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両面テープを貼る

両面テープのシールは剥がしていない


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5色それぞれ半量ずつ練り棒状に

これでは足りなくて後から追加した

また粘土の残りはすぐラップに包む


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ねじってひとまとめにする

スマホケースの上でおおよその形を作る


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粘土をどかして両面テープのシールを剥がす

あらためて粘土を載せツノを出す

凝りすぎて乾燥しひび割れる

本体用と別に出入り口用粘土を用意

 

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1日経ち完全に乾いてから薄くニスを塗る

 

【気付いたことと今後の課題】

・石粉粘土と違い手に付きにくく軽く乾燥後も弾力があるが湿っている時少し匂う

・乾燥すると見た目よりずっと軽い

・出入り口のところが手のひらにすっぽりはまって意外と持ち易い

・ツノで指もひっかけられて手から落ちにくいのは作成時には分からなかった利点

スマホをデスクに縦に置いて見る時に平らではなく上部が下部より高くなるように出入り口に傾斜を付けたので見易くなり実用的にもなったので満足

・ひび割れ対策を考えねば

・出入り口の渦巻きが狭く困ったのでヘラに慣れたい

・知らずに充電コネクタ、カメラ穴を潰しがち

スマホカバーを完全に覆うデザインで再挑戦したい

・粘土の量は思いのほか多く必要

・モデルの写真に頼り過ぎたり上からばかり見ると平面的になりがちなので、横から上から下からのデッサンがあると作りやすい

・作品を全方向に回転させつつ見ながら作りたい

・マーブルを作った後いじり過ぎると混ざり過ぎて色が暗くなる

・熱中すると忘れるが手についた粘土はこまめに取ると白が綺麗に仕上がる

・ニスを厚く塗ったせいか色素が溶け出したので要注意

・他の作品も作りたいとすぐに思った

 

 

「クリムト展 ウィーンと日本1900」拝観

 

北斎同様、画風をがらりと変えることが出来たクリムト

以前から存在する技法を学び巧みに取り入れつつ独自のスタイルを確立した人だ。

 


たとえば第2章「修行時代と劇場装飾」で亡き前任者の未完の作を仕上げるよう任せられた時のストスリクトな筆使いは前任者そっくりで完全に自己を滅したと思える。

 


また、日本美術を取り入れた作品では額縁にあしらった草花の絵や構図や模様、鶏の姿からは、あからさまに誰のどの作品からのオマージュなのか明確に想起させる。

 


そして最古のインスタグラマーと言っても良いのではないかというくらい絵を正方形に収めて描く。横長縦長が主流の中、正方形とは構図への挑戦だ。

 


まるで実験を繰り返しながら独自のスタイルを模索したかのような彼の描きたかったものは女性である。

 

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女性ばかり描いている。

 


女性の周りに花柄や幾何学などのモチーフが見られるが、モデルの人柄を表すための小道具だろうか。

 


男性も描いたが女性を際立たせるためのアイテム的存在で、花や幾何学模様と同じ扱いのように見える。

 


描いた女性とはもれなく関係を持ち結婚せず14人も非嫡出子が居た。

どの女性も美しくタイプが違い、個性が引き出されている。

 


第5章「ウィーン分離派」に展示された彼の縦長の赤い帳面はとても小さい。デッサンは線が少なくて人物中心だ。持ち歩けて直感的にささっと描けて重宝したのだろう。指先をぺろっと舐めてめくった生々しい痕跡がありそうだ。

 


わたしがクリムトからイメージするのは荒木経惟氏、インスタグラム、假屋崎省吾氏。

 


もしも来日していたら誰を描いただろう。

 


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台湾を旅したことがある。

「赤色」の比率が高い国だった。

ところが帰国して脳裏に残っていたのは赤ではなかった。

スターフルーツの翠がかった透けた黄色や霞深い山林の青緑や屋台の蛍光色や、火傷が一瞬で治る摩訶不思議なクリームの壺のてらてら光る黒に安っぽい蓋の金がわたしの台湾風景である。

そんなところが似ている。

 


クリムトは色彩に黄金を多用した。

音楽の力を絵で表した「ベートーヴェン・フリーズ」もそうだ。

これは第九礼賛の目的で描かれている。

壁画を工芸品の様に彫り、盛るように塗り、輝石や貝殻をはめ込む。

写真だと見え難い。

 


わたしは音が触感に変換されたり音を絶対音感で捉えたりするのだが、或る古くからの友人は色で見える、と公言する。

クリムトもそうなのか?

 


万博で彼が浮世絵と一緒に何を見たかは分からないが、全身が金色の日本の仏像とは金の活かし方が違うようだ。

 


展覧会へ足を運ぶ前はキンキラキン酔いしそうだと先入観を持っていたがそうではない。

クリムトの代名詞の金色はこの複製部屋に入ると主役ではなく材料のひとつでしかないと感じる。

別の色に置き換えてみたらどうかと想像すると、どの色に置き換えてもピンと来ない。

此処にある全て…余白(というのだろうか)も人物画も幾何学模様も削り跡も凹凸も高い天井の空間も…トータルでひとつの宇宙を形成しており、それぞれが引き立て合っている。

 


単純作業を黙々とこなした後に好きな歌を大声で歌うと気持ち良い。

クリムトウィーン大学に依頼されて作製した絵を非難されて一度は受け取った報酬を返上し作品を取り返している。

耳が聴こえなくなる苦しみと闘いつつ情熱的に作曲したベートーヴェンの爆発的で圧倒的な感性に、クリムトの抑圧からの解放が共鳴してむき出しになったとしたら興味深い。

 


音声ガイダンスは映像付きで解説もしてくれ、クリムトがインスパイアされた第九も流れるので目からも耳からも歓喜の歌が詰め込まれて思考停止できる。

 


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意味を知っていてもそうでなくても今度はギョッとして思考停止する。「女の三世代」だ。

 

しわとたるみと退色は見られるのものの、そのアライメントはせいぜい五十代に見える。お尻のほっぺたも引き締まって垂れていない。

わたしはフィットネスクラブの女子ロッカールームで様々な国籍の様々な年齢の女性を見る。西洋人体型であっても老婆と称するには若過ぎる。か、美化されている。

 


クリムトの描く肉体は総じて似ている。カーヴィでお尻が引き締まり膝が伸びていて脚が長く真っ直ぐだ。顔からは人柄の個人差がはっきりと感じられるのに身体の特徴は皆共通している。そこにはクリムトのロマンが込められているのか、肉体はモチーフのひとつのように考えられているのか、単にわたしの見る目がないのか。

 


そして「接吻」にも見られる特有の首の直角屈曲は一度見たら忘れられない。こんなポーズをモデルにとらせたら、胸椎の2つや3つ損傷してしまう。

 


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クリムトのゴールドが生命力とか永遠への願いだと気付いたのは、生きているのか死んでいるのか分からないような母子の絵を見たときだ。そのタイトルは「家族」。その絵の直前に同時代の画家の、遺体の顔をアップで描いたのをたくさん見せられたから死んでしまったか少なくとも生の希望の火がまさに消えようとしている瞬間に見えてしまった。

14人の子どもをもうけてはいるが、クリムトにも身近な存在の死の実体験があった。

12歳で妹を、30歳で父と弟を、そして3番目の息子は最後3ヶ月で亡くしている。

クリムトが生の証として使ったのは頬の赤ではなくきっと金色だ。

金色は燃え盛る命の炎なのだろう。

 


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繁盛しているらしいのでグッズショップを1周。

 


どこもかしこも商品棚は金運が上がりそうな色味が揃っている。

その中で一際目立って地味なのが、どうして作ったのかクリムトご本人が猫を抱えるフィギュア。緻密な仕上がりだ。

 


絵をイメージした香水、アクセサリー。

日本にインスパイアされたクリムトが、今度は日本の物作り職人を刺激するターンということか。

 


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退出しようと総合受付の前を通るとまだまだチケットを購入する行列は長かった。

 


美術館には公衆電話があって、それがピンクのダイヤル式だとあらためて掛けてみたくなり、やめた。

十円玉を貯めていないことに気づいたのだ。

22年前までは常に財布に、電話がかけられるくらいの枚数は貯めていた。

電話のある場所を記憶していた。

誰かが使っていると並んで待った。

或る時はチケットの抽選予約するためにも使った。なんだか随分むかしのことみたいだ。

クリムトの方が新しくて公衆電話の方がクリムトよりもっと昔のようだ。

 

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公衆電話の隣にスタンプコーナーがあった。

スタンプを見ると押したくなるのはなぜだろう。

子どもにシールを渡すと何処かにぺたぺた貼りたくなるのと同じだ。

絵柄が分かっているのに押すし、曲がらないでインクが均等につくとニヤリとする。

 

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館内で配布していた朝日新聞の号外

 

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初めての粘土

知識なし、道具なし、先生なし、そこでハンズさんへ行きました(世界堂本店も行きました)。

 

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【作例があった】

渋谷店です。

粘土売場の棚の最上段に、アクリルケース入った作品展示が。

どの粘土で作られたかキャプチャーが添えられていました。

仕上がりを見て、自分の作りたい物の表現に適した粘土が選べそうです。

中でも薄く透ける粘土がガラス細工のようで儚いです。いつか使ってみたい、と夢はふくらみます。

 


【どのくらい縮むか見られた】

乾くと縮む粘土。

陳列棚には商品の手前に現品まるっと乾燥させた商品サンプルが配置されています。

目で見て縮み具合を実感を伴って把握できました。

一緒に収縮率記載ポップも付いています。パーセンテージ表示だと大したことなく感じますが、手に取ると、これだけ軽くなるのね、と驚きも。

 


【一覧表で比較できた】

比較一覧表「粘土の特徴と分類」ポップまで掲示されていました。

項目は、11種の粘土の軽さ、キメ細やかさ、しなやかさ、透過性、削れるか、強度、耐水性、芯材との相性、厚さ1センチの乾燥時間を冬夏ごと、適した着色料。

硬化後削りたい衝動に駆られそうなので「削れる」を選択。石粉と木粉に絞ることに。「軽い」を選ぶと石粉一択。

 


スカルピーは取扱い無かった】

ちなみに世界堂本店にはグレイスカルピーとMr.スカルプトクレイの在庫がありました。

 

 

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固めるのに専用オーブンが必要だし、こねる為のパスタマシーンも欲しくなりそう。

ならばその前にまずはオーブン不要の石粉粘土を。

 

商品名が英訳するとfirstという意味だったので、初めてに相応しいと期待して「プルミエ」を。

 

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【道具も買えた】

ヘラも同じ売り場で追加。

 

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紙やすりを求め階下へ。

引き出し開け閉め、目の細かさに応じて4枚。

 

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こんなに使い分けられるのか心配です。

ヘラの種類は世界堂さんが豊富でした。何にどう使うか見当が付きませんでした。

 


【芯材って要るの?】

粘土の量を節約し、仕上がりの重心を整え、強度を増し、全体の重さを軽減するなら芯材を使うと良さそうです。

地下でスタイロフォーム、ワイヤー、電源式スチロールカッターを買い物かごに追加します。

 

 

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ちなみにスチロールカッターとスタイロフォーム世界堂さんにもありました。ハンズさんには球体もありました。

 

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