6/14【眼・技・心】銀座 蔦屋書店 トークイベント運慶展に寄せて
“羅は上下はつれ、螺鈿の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ”とは兼好法師の徒然草。
「日本だけですよね」「完全体でない美」
そう語られたのは無著菩薩(むじゃくぼさつ)立像について。
仏像が金一色で完全に輝いていると神々しい。
生々しさとは対照的に「作りものっぽい」。
けれど時間の経過により塗装が剥がれ落ちた状態では「ほぼ、黒い(だけの)、ヒト」「もう彫刻じゃ無い。人ですもん。生きてる人」
生きたままの人間を固めたのかと見紛うほどの不気味さ。見てはいけないものを見てしまったような気まずさ。
そんな一瞬のひるみを棄て目をそらさずに向かい合うと、菩薩やその仏師の本質が浮き上がります。
黄金の輝きこそ失ったものの、その分風格が増し、世事を離れた叡智や徳があらわになりました。
凄いのはやはり「目が。」
玉眼は運慶が奈良仏師から受け継いだと言われます。
本物の眼球のように水晶を湾曲させるのは日本だけの技術とのこと。
剥き出しの木肌が陰影となり、目の光が強調され口ほどに物を言います。完全体よりも完全にリアルです。
運慶展でわたしは像と目が合う場所へ移動して拝観しました。
すると怒りに燃える天の目はなぜか慈愛に満ちていたのでした。
仏像の造り方
•銅…型に銅を流し込む→金銅仏
•土…粘土を盛り削り盛り削る→塑像
•漆…中身空っぽで途中まで塑像とほぼ同じ造り方→脱活乾漆造
•木…一本の木から掘り出す一木造
•木…複数の木を組み合わせて削る寄木造。
土と漆が材料だと技法は塑(モデリング)。それ以外は彫(カービング)。
粘土彫刻作家としての発言を求められると仏師への敬意を表されて、「カービングとモデリングという言葉があって」盛って作り直しが効くかどうかだけではなく仏像とご自身の作品を「違う」と仰り言葉少なでした。
ご自身の作品の話は本イベントでは殆ど語られませんでした。その分、名聞き役に徹され西木政統さんからお話を沢山引き出しておられました。
この時代は戦いと飢饉と疫病のさなか釈迦の死後1,500年を経た末法です。仏の救いを実感したい人々の切なる願いを一身に引き受けた運慶は、渾身の写実性と量感で期待に応えます。運慶の作品はその存在だけで人を圧倒します。仏は今此処に居るのだ、心の拠り所にしなさい、と訴え掛けるかのようです。
辻明俊さんが片桐仁さんに付け足しながら言い換えるように仰ったその後のお言葉。
“ただ木材を削るのではなく、木から仏さんを掘り出せる仏性・仏心が仏師に委ねられる”。
片桐仁さんのご著書”おしり2”に仏師のご学友を訪ねる記述があります。