5/14【名付けのたのしみ】銀座 蔦屋書店 トークイベント運慶展に寄せて
旅は道連れ、博物館巡りもまた。
愛称を付けて美術品を鑑賞するなんて、気心知れた友人と拝観するみたい。
作品との距離も縮まります。
「童子」以外は展示品に対し正式名称ではなく、ご自身の感性に依る言葉を紡いで呼んでおられました。
それらのニックネームがどれも老若男女不問で共感・認識可能でした。
仏像って漢字が多くて長いんです。同じ名前の像がごまんと存在します。
キュレーターさんがたはお寺の名前や地名をくっ付けて呼ぶものらしいです。
それが仏像ビギナーのわたしには難解でした。
記憶の画像を引き出せるまで何秒も要します。
字幕と映像が無いと完全に置いてきぼりで、お話はその間に先へと進んでしまいます。
そんな時、片桐仁さんの付けたあだ名は、優しく耳のはしっこをつまんでトークの世界に引き戻してくれます。
仏教に特別な興味や事前知識なんか揃えなくても、観に行っちゃえばいいよと。
四天王に踏まれる邪鬼は「踏まれるだけの人」だったか。
身体の自由を奪われ、顔、特に目玉だけが自己主張します。
ほっこりした直後に切ない話を聴くと涙が止まらないなんて経験はありませんか?
まるく、つるんと、首を傾げた重要文化財。
伝湛慶作、京都・高山寺の子犬に「ワンちゃん。いた」今にも撫でに近寄るようなお声で。
続く辻明俊さんによる、それを愛した明恵(みょうえ)上人の逸話が引き立ちました。
それはこんなお話です。
明恵上人は幼くして両親を亡くし、神護寺へ馬で出家します。
その際、故郷との別れに涙します。
川を渡る時、水を飲む馬の手綱を引くと、馬は水を飲みながらも歩みを止めません。
馬といえば水を飲む時立ち止まるものなのに。
明恵上人は省みるのです。馬ですら勤めを果たそうというのに自分は故郷を
離れることに泣いている。馬にも劣る。こんなことではいけない、全ての生きとし生けるものの御霊のために坊さんになろう。
その時、明恵上人は若干、九歳です。
そこでわたしの頭の中では先ほどの片桐仁さんの「ワンちゃん。いた」が九歳の明恵上人の声としてフラッシュバックしました。