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2/3 檜舞台の結晶

この日舞台で取れた座席は一番隅でした。舞台からは見えないだろうとの安堵は否。
それをわたしは経験上知っているのに、逆側に回ると、きっと舞台からは見えないと思い込んでしまいます。


舞台の趣旨をよく知らずに赴いてしまっていました。出演者の名前だけでチケットを早押ししていました。
開幕して程なく解説者が説明した、出演者と観客が舞台を創り上げるという意味にすぐさま、わたしは関係無いと決め込みます。
ところが客席が明転され、わたしの三列前・右三席の男性客が挙手しました。しかも出演者に指名されます。

役者さんがたが此方に一瞥を。やり取りは一瞥で終わりません。目が合う?合わない?あり得ない前者の妄想を制するように、そして在りもしない隠れ場所をキョロキョロ探しかえって目立ってもいけないと身を硬くし目線をその客の後頭部に定め息を潜めました。

 

舞台は編集後TV放映され、ライブのほうがよかったと青菜に薄塩。
しかしこれが編集のちからかと、妙な感心もしました。
キレイな台本が初めから有ったかのようにまとめられたそれは多くの人の手を経て別の作品に仕上がっており、多少味気なく感じてしまいました。

マイクを通した声が違う。生で聴いたほうをどうにかして海馬に残しておきたい。ひたいにとどまる汗。わたしに唇を閉じるのを忘れさせるその輝きを、ご本人は良い意味にはきっと捉えてはいないのでしょう。瞬間瞬間の判断に頭をフル回転させ共演者に観客に応えていた。その懸命さが結んだ雫は、赫々たる経歴の結晶だった。

 

この日の所在無さげな様子は初めて見るもので、それだけで抜群に格好悪く、それでいて嫌味なく、世間に愛される理由はその年齢不相応な憎めなさでした。
体躯を右に左に前に後ろに、揺さ振り踵を上げ爪先を心待ち開き歩く、決してわたしがしない姿を真似て信号待ちでふと、いまなら片桐仁さんの軽快な発想を借りられる気分になりました。 こうしている内に自由なイマジネーションがわたしの手からも生まれる?口笛を吹いてターンをひとつ。
着地に失敗してつんのめりました。

 

今日の舞台を観に来た人は肝試しにも似た驚き面白がる期待満々です。
演者はお化け屋敷さながら真っ暗闇に放り込まれ手探りで笑いを調理しなければなりません。
火傷も負うでしょう。切ったはずの大根が茄子なんて事も起き得るでしょう。客に笑う事を制しますから火加減だって手探りになる。
日曜劇場から抜け出したお二人が置かれたその場は芸歴総てに詰め込まれた手練(しゅれん)が如何無く発揮される舞台と言えます。

 

舞台前のトーク。語彙豊かに小鳥の如く軽妙でした。
舞台中。わたしの後部座席の男性客が数回、こらえられない様子で吹き出しました。
会場の空気は風船を一気に膨らませるような笑いに何度も包まれました。
片桐仁さんの共演者への敬意と人の善さがこぼれ出てしまっていました。

楽しかった。今迄生きてきていちばん楽しかった。
笑ってしまったし、笑わされてしまった。
営業スマイルに慣れた自分の頬ですら、軽い筋肉痛を覚え、この指先から語彙を奪うほどには笑わされ過ぎたと自覚するくらいに。